ひじきじんじゃ
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楽しみ方比自岐神社のお参りの記録一覧
伊賀四国八十八ヶ所巡礼中に見かけ寄らせていただきました。
垂仁天皇の庶子の妻で、当時地域を支配していた伊賀比自岐氏を祀る神社です。延喜式内社・伊賀郡十一座の比自岐神社に比定されています。





















【伊賀国 式内社巡り】
比自岐神社(ひじき~)は、三重県伊賀市比自岐にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は比自岐神、配祀神は天児屋根命、天照大神。
創建は不詳。主祭神の比自岐神は、古代の豪族・比自岐和気の祖神であり、比自岐和気は息女を第11代垂仁天皇の皇子・圓目王に嫁がせたとされ、朝廷と近かったとされる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「伊賀國 伊賀郡 比自岐神社 小」に比定されている。戦国時代1581年の天正伊賀の乱で社殿を焼失、1604年に再建した。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、伊賀鉄道伊賀線・丸山駅の東方3kmの平地、住宅街にある。境内南端入口そばの石柱(道標)には「右いせみち、左うへのみち」とあり、かつては伊勢参宮街道であったと考えられる。東西に細長い境内地の東側に社殿等があり、参拝可能な部分だけを見ると小ぢんまりとしている。新しい拝殿や社殿からは古社であると想像もつかないが、拝殿そばの巨木だけが歴史の長さを物語ってくれる。
今回は、伊勢国の式内社、旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分以外には参拝者はいなかった。

境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。T字路の突き当り。

鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。

参道を進んで、<拝殿>全景。新しいと思ったら、説明書きによると2008年の台風7号で社殿、社叢が破壊されたため、2011年に再建されたとのこと。

拝殿前左側の<狛犬>。

拝殿前右側の<狛犬>。

<拝殿>正面。扁額はなし。

<拝殿>内部。

手水舎の裏、境内南東側に建ち並ぶ燈籠群。小さな境内社もある。

燈籠群の東側にある<鐘楼>。

鐘楼前から見た<拝殿>。

よく見ると、拝殿後ろの巨木がすごい立派。

拝殿、巨木の後ろにある<本殿>。こちらも台風ののち2011年に再建。

逆側から見た<本殿>全景。左側に本殿を向いた境内社がある。

鳥居をくぐって左手に見える<社務所>。新しくてきれいだが無人。本務社は後で参拝に行く猪田神社(伊賀市猪田5139の方)。

社務所前から見た<社殿>全景。社殿は新しいが、巨木が古社の趣を醸し出している。

最後に<拝殿>全景。

境内の道を隔てて南側にある<忠魂碑>。昔はこの周り一帯が境内だったのかな。(^▽^)/

伊賀国伊賀郡の式内社です。この地に住んでいた比自岐和気命さまが自身の祖神を祀って建てた神社で、ヒジキは関係ないです。

《鳥居と社号碑》
最近忘れがちですが、ヒジキは海藻です。

《由緒書き》
この神社も明治の神社合祀によって複数の神社が纏められていたようです。そのため社格が県社と割と高いです。

《社務所》
参拝時は無人でした。

《手水舎》
水は流れていませんでした。

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
この神社を建てた比自岐和気さんの一族は天皇の殯宮(皇族の葬送儀礼)を担当していた一族で、且つその娘が垂仁天皇さまの皇子である円目王さまに嫁いだことから朝廷とかなり近かったことが分かります。

《本殿》
御祭神が比自岐神さまとあるように、記紀神話に出てこない一族の祖先神を祀る系統に属します。

《祭礼詳細》
祇園祭が行われているようです。まさしく今こそ斎行してほしいですね。

《本殿と末社》
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