さかのやしろ
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坂社の主祭神は、
建速須佐之男命が生んだ5柱の男神
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊(オシホミミ)天之菩卑能命(アメノホヒ)天津日子根命(アマツヒコネ)活津日子根命(イクツヒコネ)熊野久須比命(クマノクスビ)
天照大御神が生んだ3柱の女神 多紀理比賣命(タギリヒメ)市寸島比賣命(イチキシマヒメ)多紀津比賣命(タギツヒメ)で、スサノオとアマテラスの誓約で生まれた神々五男三女神とも言われています。(日本書紀より)
藤社 合祀神
彦國見賀岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと):渡会国の守護神で、渡会氏の祖される
柿本人麻呂公(かきのもとひとまろ):飛鳥時代の歌人であり、死後に人丸神として信仰されています。
坂社の社号標と鳥居
手水舎
拝殿
拝殿内
坂之森稲荷社の手水鉢
境内社の坂之森稲荷社
坂之森稲荷社の扁額
坂之森稲荷社の御祭神
坂社は伊勢神宮外宮周辺の散策で最後訪ねた神社です。もう午後4時か5時くらいですかね。知り合いになったフランス人とシンガポール人と一緒に夫婦岩にいく約束ですので、そのあと駅に向かいました。
あんまり記憶にはないですが、おそらく一つ一つの旅を重ねて、一人で神社巡りが生活習慣になりました。
ゆっくりゆっくり風や音を感じ、社殿の造りをじっくり見て、石像の表情を感じることが自分なりの認識方法です。歴史はもちろん面白いし、深く掘り下げるといろんな発見ができます。一番重要なのは自分の感性ですかね。あんまり歴史に詳しくなくでも、昔の人の信仰、自然や神様の敬意を感じることができます。ありがたいことはありがたい、それは信仰の根本でしょうね。
歴史
当社は古来より現在地に鎮座する社で、坂野村社、坂村社、坂村殿、坂殿社などと呼ばれていたが、後に坂社と称し、明治4年11月に村社に列せられた社である。当社の創祀については詳らかではないが、明治12年の『神社明細帳』に、「この社、地名をもって称す、(中略)中古山田を坂、須原、岩淵の三方に分かつ、その坂方地方の人民崇敬せし産土神と申し伝え候也」とある。当社の御頭神事は、山田地方の八頭の一つとしての由来と伝統を現在に引き継ぎ、毎年各町内の巡舞を行っている。昭和20年7月、藤社が合祀された。
名称 | 坂社 |
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読み方 | さかのやしろ |
詳細情報
ご祭神 | 《合》誉田別尊,菅原道真,彦国見賀岐津与束命,人磨大明神,《主》正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊,天之菩卑能命,天津日子根命,活津日子根命,熊野久須比命,多岐理比売命,市寸島比売命,多紀津毘売命 |
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ご由緒 | 当社は古来より現在地に鎮座する社で、坂野村社、坂村社、坂村殿、坂殿社などと呼ばれていたが、後に坂社と称し、明治4年11月に村社に列せられた社である。当社の創祀については詳らかではないが、明治12年の『神社明細帳』に、「この社、地名をもって称す、(中略)中古山田を坂、須原、岩淵の三方に分かつ、その坂方地方の人民崇敬せし産土神と申し伝え候也」とある。当社の御頭神事は、山田地方の八頭の一つとしての由来と伝統を現在に引き継ぎ、毎年各町内の巡舞を行っている。昭和20年7月、藤社が合祀された。 |
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