たいこうじ
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太江寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月21日(火)
参拝:2023年3月吉日
毎年春先に鳥羽へ浦村牡蠣を食べに行きますが、日帰りでは寺院へ行く時間が取れませんでした。今年は泊まり掛けでしたので寺院へ行く事が出来ました。(寺院へ行くために泊まり掛けにしたと言うのが本当の所)
伊勢神宮が在る伊勢市に在る(夫婦石の二見ヶ浦の近く)潮音山 太江寺です。ふとえでら ではなくて たいこうじ です。
真言宗醍醐派で、本尊は千手観音。
この本尊・千手観音坐像は重文です。
本尊は秘仏で、ネットには開帳は1月1日~3日、4月29日、毎月18日(厨子の横を開帳)と書かれていたりしますが(太江寺のHPには観音火祭りが行われる旧暦1月18日の前の日曜日の日中と7月7日の七夕特別祈願の19~20時と記載あり)、何が本当なのかわからず、事前予約して訪れるのが間違いないため、今回は拝観予約してから伺いました。(拝観予約して拝観料を納めれば拝観出来る。)
伝えによれば、奈良時代に行基が大仏勧進のため行脚の際、天照大神のお告げを受けて二見ヶ浦で興玉神を参拝した所、千手観音を感得した。その姿を刻んで開創し、鎮守社として興玉社を境内に祀った。また醍醐天皇が勅願寺とし隆盛したが、平安末期より衰退。鎌倉初期の文治年間(1185~90年)に、衰退を見た伊勢内宮の荒木田成長神主が諸堂を再建し、本尊千手観音像を寄進。江戸時代に落雷により諸堂焼失。本尊は幸いにも運び出され、元禄年間(1688~1704年)に神宮奉行の長谷川周防守により、本堂、仁王門が再建され今日に至るとの事です。
駐車場がわからず参道入口を過ぎた先に見付けて停めさせて頂きました。参道入口の右側に十王堂がありました。その直ぐ先の両側に駐車場がありました。参道を少し上がると仁王門、両側には阿形・吽形の金剛力士像。仁王門をくぐると突き当りに庚申堂。右に折れて石段を少し上がると本堂です。本堂手前に手水。この手水に使われている手水鉢は鎌倉時代の宝篋印塔の台座をくり抜いて作ったものらしく、長年の雨風によって腐食が進み倒壊の危機に直面しており、修繕のための費用調達に娘さんの勧めで現在クラウドファンディングで寄付を募っているとご住職からお聞きし、これも何かのご縁と思い、少額ですが寄付させて頂きました。
本堂手前右側に納経所があり、拝観予約した者と伝えて拝観料(500円)を納め、ご住職に本堂へ案内頂きました。
本堂須弥壇の厨子の扉を開けて頂くと本尊・千手観音坐像(重文)です。千手観音坐像は、高さ約176cm、榧(かや)の寄木造り、42手、檀像風の素地に目・眉・口唇のみ彩色。衣文は浅めで、鎌倉時代前期の作。頭部に興玉神のご神体の観音像が納められているとの事です。思いの外、大きく立派、丁寧に彫られていると感じました。
本尊厨子の左右には不動明王立像と毘沙門天立像、共に新しく江戸時代の作。左側の脇間手前には歓喜天を祀った玉状の厨子、右側の脇間には弘法大師坐像、等が祀られていました。
本堂の左側には元興玉社で、明治30年(1897年)に御神体は二見ヶ浦(現在の二見興玉神社)へ遷座したとの事で、「元」の字が付いているかなと。
最後に御朱印を頂き、失礼しました。
伊勢神宮が在る伊勢市に在る(夫婦石の二見ヶ浦の近く)潮音山 太江寺です。ふとえでら ではなくて たいこうじ です。
真言宗醍醐派で、本尊は千手観音。
この本尊・千手観音坐像は重文です。
本尊は秘仏で、ネットには開帳は1月1日~3日、4月29日、毎月18日(厨子の横を開帳)と書かれていたりしますが(太江寺のHPには観音火祭りが行われる旧暦1月18日の前の日曜日の日中と7月7日の七夕特別祈願の19~20時と記載あり)、何が本当なのかわからず、事前予約して訪れるのが間違いないため、今回は拝観予約してから伺いました。(拝観予約して拝観料を納めれば拝観出来る。)
伝えによれば、奈良時代に行基が大仏勧進のため行脚の際、天照大神のお告げを受けて二見ヶ浦で興玉神を参拝した所、千手観音を感得した。その姿を刻んで開創し、鎮守社として興玉社を境内に祀った。また醍醐天皇が勅願寺とし隆盛したが、平安末期より衰退。鎌倉初期の文治年間(1185~90年)に、衰退を見た伊勢内宮の荒木田成長神主が諸堂を再建し、本尊千手観音像を寄進。江戸時代に落雷により諸堂焼失。本尊は幸いにも運び出され、元禄年間(1688~1704年)に神宮奉行の長谷川周防守により、本堂、仁王門が再建され今日に至るとの事です。
駐車場がわからず参道入口を過ぎた先に見付けて停めさせて頂きました。参道入口の右側に十王堂がありました。その直ぐ先の両側に駐車場がありました。参道を少し上がると仁王門、両側には阿形・吽形の金剛力士像。仁王門をくぐると突き当りに庚申堂。右に折れて石段を少し上がると本堂です。本堂手前に手水。この手水に使われている手水鉢は鎌倉時代の宝篋印塔の台座をくり抜いて作ったものらしく、長年の雨風によって腐食が進み倒壊の危機に直面しており、修繕のための費用調達に娘さんの勧めで現在クラウドファンディングで寄付を募っているとご住職からお聞きし、これも何かのご縁と思い、少額ですが寄付させて頂きました。
本堂手前右側に納経所があり、拝観予約した者と伝えて拝観料(500円)を納め、ご住職に本堂へ案内頂きました。
本堂須弥壇の厨子の扉を開けて頂くと本尊・千手観音坐像(重文)です。千手観音坐像は、高さ約176cm、榧(かや)の寄木造り、42手、檀像風の素地に目・眉・口唇のみ彩色。衣文は浅めで、鎌倉時代前期の作。頭部に興玉神のご神体の観音像が納められているとの事です。思いの外、大きく立派、丁寧に彫られていると感じました。
本尊厨子の左右には不動明王立像と毘沙門天立像、共に新しく江戸時代の作。左側の脇間手前には歓喜天を祀った玉状の厨子、右側の脇間には弘法大師坐像、等が祀られていました。
本堂の左側には元興玉社で、明治30年(1897年)に御神体は二見ヶ浦(現在の二見興玉神社)へ遷座したとの事で、「元」の字が付いているかなと。
最後に御朱印を頂き、失礼しました。
すてき
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nomuten991投稿
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