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鳴谷神社ではいただけません
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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

境内手前【有料】300円 30台ほど

ご利益

鳴谷神社について

新旧狛猿


近江の日吉山王社からの分祀の為、神使は猿。大正時代の狛猿とそれを元に忠実に再建した平成の狛猿がお出迎え。

可愛い御朱印


宮司さんが丁寧に見開きの御朱印を描いていただけます。

春分秋分


宮司さんが言うには春分と秋分の日には本殿-鳥居-参道と真っすぐに伸びるラインから御来光が望めるそうです。

三重県のおすすめ🎎

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おすすめの投稿

メギピッピ
2023年06月18日(日)
177投稿

いなべ市巡りの際にお参りしてきました。
残念ながら御朱印はいただけなかったので、
また改めてお参りに伺おうと思います。

鳴谷神社(三重県)

社号標と正面の鳥居。

鳴谷神社(三重県)

手水舎は見かけなかったのですが、
御神橋の近くに手水らしい物がありました。

鳴谷神社(三重県)

拝殿の少し手前からの様子。
多くの狛猿がお出迎えしてくれます。

鳴谷神社(三重県)

拝殿正面の様子です。

鳴谷神社(三重県)

境内には非常に立派な杉の木がそびえています。

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歴史

伝教大師(最澄)が唐から帰国し天台宗の総本山 延暦寺を建立された後、布教の為、藤原岳中腹に聖寶寺を建立。その山裾に寺の守護神 日吉山王社としてお祀りしたのが始まり。あわせてこの郷も近江坂本にならい坂本と名づけられました。
元亀元年(1570)、伊勢長島一揆を鎮圧するため織田信長は余勢を駆ってこの地方の神社仏閣も焼き払い当社、聖寶寺も焼失。
万冶二年(1659)、聖寶寺が再建され天台宗から臨済宗と改宗。当社も村の氏神として再建され今日に至ります。万冶三年(1660)改築、文化三年(1806)再改築の記録が残ります。
平成二九年(2017)、地元篤志により新狛猿が奉納されました。

明治以前は日吉山王社としていましたが明治以降は境内を流れる鳴谷川にちなみ鳴谷神社と改称されました。

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鳴谷神社の基本情報

住所三重県いなべ市藤原町坂本松原83
行き方
アクセスを詳しく見る
名称鳴谷神社
読み方なるたにじんじゃ
参拝時間

参拝/24時間

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご祭神《合》豊受比売命,軻遇突智命,大山津見命,猿田彦命,大山津見命,市杵島姫命,金毘羅大神,稲倉魂命,《主》大山咋命
創建時代840年代
ご由緒

伝教大師(最澄)が唐から帰国し天台宗の総本山 延暦寺を建立された後、布教の為、藤原岳中腹に聖寶寺を建立。その山裾に寺の守護神 日吉山王社としてお祀りしたのが始まり。あわせてこの郷も近江坂本にならい坂本と名づけられました。
元亀元年(1570)、伊勢長島一揆を鎮圧するため織田信長は余勢を駆ってこの地方の神社仏閣も焼き払い当社、聖寶寺も焼失。
万冶二年(1659)、聖寶寺が再建され天台宗から臨済宗と改宗。当社も村の氏神として再建され今日に至ります。万冶三年(1660)改築、文化三年(1806)再改築の記録が残ります。
平成二九年(2017)、地元篤志により新狛猿が奉納されました。

明治以前は日吉山王社としていましたが明治以降は境内を流れる鳴谷川にちなみ鳴谷神社と改称されました。

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