つばきなかとじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
都波岐奈加等神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月19日(金)
参拝:2020年2月吉日
都波岐神社・奈加等神社(つばき...・なかと...)は、三重県鈴鹿市にある神社。両社とも式内社で、旧社格は県社。都波岐神社は伊勢国一之宮とされる。明治時代に都波岐神社と奈加等神社を合併したもので、都波岐奈加等神社と称している。
当社は社伝によると、雄略天皇の479年、天皇の勅命により伊勢国造の高雄束命が現在地に社殿を2つ造営し、それぞれ都波岐神社、奈加等神社と称したのが始まりとされる。平安中期927年の延喜式神名帳では「伊勢国・河曲郡」に2社とも記載されている。平安初期には弘法大師が参籠し獅子頭2つを奉納、平安後期には2社ともに正一位の神階と白河天皇の宸筆の勅額を授かった。戦国時代に織田信長の伊勢平定の際に社殿を焼失、江戸初期に神戸城主・一柳監物が再建したとのこと。明治期に2社は合併し県社に列格。
当社は、JR関西本線・河原田駅から3kmちょっと、伊勢鉄道・鈴鹿駅から3kmちょっとの、田園地帯を横切る幹線道路(国道23号)脇の小さな住宅地の中にある。行きは鈴鹿駅からタクシーに乗ったが、帰りはタクシーも期待できず、根性で河原田駅まで3km歩いた。周りにはコンビニ含め店が一つもないのが辛かった。一之宮・旧県社とされているが、境内はさほど広くなく、社殿も大きくないので、小さめの郷社のイメージ。
参拝時は平日の昼ごろで、他に参拝者はなし。境内に社務所はあるが無人だったので、境内脇の宮司宅に訪れ、社務所にて御朱印を拝受した。
当社は社伝によると、雄略天皇の479年、天皇の勅命により伊勢国造の高雄束命が現在地に社殿を2つ造営し、それぞれ都波岐神社、奈加等神社と称したのが始まりとされる。平安中期927年の延喜式神名帳では「伊勢国・河曲郡」に2社とも記載されている。平安初期には弘法大師が参籠し獅子頭2つを奉納、平安後期には2社ともに正一位の神階と白河天皇の宸筆の勅額を授かった。戦国時代に織田信長の伊勢平定の際に社殿を焼失、江戸初期に神戸城主・一柳監物が再建したとのこと。明治期に2社は合併し県社に列格。
当社は、JR関西本線・河原田駅から3kmちょっと、伊勢鉄道・鈴鹿駅から3kmちょっとの、田園地帯を横切る幹線道路(国道23号)脇の小さな住宅地の中にある。行きは鈴鹿駅からタクシーに乗ったが、帰りはタクシーも期待できず、根性で河原田駅まで3km歩いた。周りにはコンビニ含め店が一つもないのが辛かった。一之宮・旧県社とされているが、境内はさほど広くなく、社殿も大きくないので、小さめの郷社のイメージ。
参拝時は平日の昼ごろで、他に参拝者はなし。境内に社務所はあるが無人だったので、境内脇の宮司宅に訪れ、社務所にて御朱印を拝受した。
鳥居と社号標。合併前の古い社号標なのか、鳥居の右側に<都波岐神社>と<奈加等神社>の2本の社号標が立っている。
鳥居くぐってすぐ右手にある<手水舎>。
参道を進む。
参道左手にある社務所。御朱印はこちら。
二の鳥居。
拝殿全景。
拝殿と扁額。
参道右脇にある<猿田彦命>の碑。
あらためて、神社全景。
都波岐(つばき)神社だけあって、神社の生垣には<椿>。この神社は冬の参拝がベストかな。
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。