みずやじんじゃ
水屋神社の編集履歴
郵便番号
515-1505
ご由緒
垂仁天皇25年(紀元前51年)天照大神が当地に巡幸された際、この地に鎮座しておられた春日の神と議って川中の巨石を以って伊勢・大和両国の境とした。
この話は、隣接する滝の郷が神宮内宮の御厨であるという「神鳳抄」の記事を考えあわせると、当社が興福寺領の西端を、滝野郷が内宮領の東端を示すものとして注目される。
里人は今もこの巨石を「礫石(つぶていし)」、また、その付近を「堺が瀬」と呼んで慕っている。柳田国男はその著書「日本の伝説」のなかでこの話を取り上げている。
神社名(水屋神社)・所在地(赤桶)・特殊神事・(水取り)祭神(龍神姫)などすべてにわたって水との関わりがあり、当社の西方約700メートルのところには「閼伽桶(あかおけ)の井」がある。
旧記・古文書の類にはこの「閼伽桶の井」の神水を二振りの桶に汲み、貞観元年(859)11月9日より春日大社への奉納を始め、天正5年(1577)の兵乱で中絶したとある。しかし、細々ながら神水はその後も当社へ奉納されてきた。
宮家のご信仰として、一品京極宮家仁親王の胡佐の宮誕生報恩の令旨が奉納されている。
今日のように賑々しく祭事が取り行なわれるようになったのは皇紀2600年(昭和15年)の奉祝を契機としている。
編集前:垂仁天皇25年(紀元前51年)天照大神が当地に巡幸された際、この地に鎮座しておられた春日の神と議って川中の巨石を以って伊勢・大和両国の境とした。
この話は、隣接する滝の郷が神宮内宮の御厨であるという「神鳳抄」の記事を考えあわせると、当社が興福寺領の西端を、滝野郷が内宮領の東端を示すものとして注目される。
里人は今もこの巨石を「礫石(つぶていし)」、また、その付近を「堺が瀬」と呼んで慕っている。柳田国男はその著書「日本の伝説」のなかでこの話を取り上げている。
神社名(水屋神社)・所在地(赤桶)・特殊神事・(水取り)祭神(龍神姫)などすべてにわたって水との関わりがあり、当社の西方約700メートルのところには「閼伽桶(あかおけ)の井」がある。
旧記・古文書の類にはこの「閼伽桶の井」の神水を二振りの桶に汲み、貞観元年(859)11月9日より春日大社への奉納を始め、天正5年(1577)の兵乱で中絶したとある。しかし、細々ながら神水はその後も当社へ奉納されてきた。
宮家のご信仰として、一品京極宮家仁親王の胡佐の宮誕生報恩の令旨が奉納されている。
今日のように賑々しく祭事が取り行なわれるようになったのは皇紀2600年(昭和15年)の奉祝を契機としている。
電話番号
0598-46-0932
編集前:社務所電話 : 0598-46-0932
ご祭神/ご本尊
天児屋命
素戔嗚尊
天照大神
龍神姫命
URL
http://www.mizuya.org
編集前:http://www.mizuya.org/common_images/bar_space_590_10.gif
見所
水送りの神事で有名なパワースポット。
緑が濃い壮大な境内には、どれも御神木に値するような大楠がたくさんある。
千数百年前、奈良春日大社より天児屋根命を奉祭したのを創始とし、その後大化四年(648)大和国三笠山から素盞鳴尊、龍神姫命を勧請。
和銅三年(710)奈良、興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり水を奈良へ運んだと残る。
編集前:水送りの神事で有名なパワースポット。
緑が濃い壮大な境内には、どれも御神木に値するような大楠がたくさんある。
千数百年前、奈良春日大社より天児屋根命を奉祭したのを創始とし、その後大化四年(648)大和国三笠山から素盞鳴尊、龍神姫命を勧請。
和銅三年(710)奈良、興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり水を奈良へ運んだと残る。
アクセス
○車
松阪駅(JR,近鉄)より約30km、松阪IC(伊勢自動車道)より約25km
勢和多気IC(伊勢自動車道)より約20km、高見峠(三重・奈良県境)より約25km
○バス
三交バス飯南波瀬線「向赤桶」下車すぐ。松阪駅から所要約40分
編集前:
車
松阪駅(JR,近鉄)より約30km、松阪IC(伊勢自動車道)より約25km
勢和多気IC(伊勢自動車道)より約20km、高見峠(三重・奈良県境)より約25km
バス
三交バス飯南波瀬線「向赤桶」下車すぐ。松阪駅から所要約40分
参拝時間
参拝自由
駐車場
あり(境内の道向かいに駐車可能)
御朱印
あり
参拝所要時間
約15分
参拝料
なし
創立
不詳
創始者/開山・開基
不詳
巡礼
元伊勢
行事
春分の日 春季大祭
7月31日 宵宮祭(お水祭り)
8月1日 夏祭・祖霊祭
11月23日 秋季大祭
12月31日 除夜祭(若水取り)
ご神体
不詳