おいたじんじゃ
意非多神社のお参りの記録一覧

松阪市西黒部町に鎮座する延喜式神名帳に記載されている神社です。
通称立付(たてつき)大明神とよばれているようです。
現在の社地よりおよそ五六町(約6100m)南西の「大板」の地に創祀されていたようで、
社名は大板から意非多(おいた)となったとされています。
表参道
恒例祭典の案内看板
由緒碑
手水舎
拝殿と狛犬
拝殿内
本殿
御神木由来
和銅年間(今から約1300年前)大板の地に楯築大明神が祀られました。大水害で寛治年間(今から約900年前)此の地に移りました。何時の時か松の種が落ち芽が出、新しい生命が誕生しました。何百年か経ち松の小木は大木に育ちました。信長の侵攻、江戸時代、新田開発、明治維新、日清・日露戦争、支那事変、太平洋戦争、東海地震、十三号台風、伊勢湾台風等西黒部の移り変りを見つめて来た御神木でありました。永い歳月を経た大木は生命尽き自然に帰りました。平成7年遷宮を記念して地中に残る御神木の生命を後世に伝えます。
御神木
社務所前に置かれている鬼瓦
左側の瓦の脇に、天保八丁酉十二月吉日 松坂瓦工 冨嶋九郎兵衛
右側の瓦は正面の右側に、勢州 辰吉作 斎宮 と書かれているようです
意非多神社裏参道と書かれた石碑
裏参道の向かって右側すぐの道を左折すると、左側に駐車場スペースが有ります

伊勢国飯野郡の式内社です。神武天皇さまの御子である神八井耳命さまの子孫である"多氏"が開拓して創建されたとされています。恐らく社名の意非"多"はここに由来すると思われます。
"おいた"しちゃダメよ!!!!
《鳥居》
神明鳥居にも似ていますが、上は四角で斜めに切れており、下も飛び出ていません。
《祭礼日》
《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
この意非多神社も明治の神社合祀によって多数の神社が合祀されています。
名だたる神様の中でここの主祭神とされるのが右上の伊毘志都幣命さまで、大和国の爲志神社や、出雲国の飯石神社で祀られています。
主な活躍は出雲国風土記で見られますが、なぜこちらで祀られているのかが謎です…
《手水舎と社号碑》
《表参道》
なにより蚊が多い!めっちゃ刺される!!
《拝殿》
《社務所》
授与所もあり、毎月1日に月次祭が行われています。もしかしたら御朱印もいただけるかも…?
《御神木》
枯れた跡も立派に遺す。見事な佇まいです。
《裏参道》
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