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高田寺跡ではいただけません
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高田寺跡のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年01月19日(水)
参拝:2022年1月吉日
滋賀県·三重県の寺院巡りの4寺目というか、高田寺(廃寺)の跡地に建てられている瀬古地区の集会所へ行きました。先の滋賀県から三重県に入り、伊賀市を抜けた津市の白山町に在ります。白山町は以前一志郡白山町でしたが、2006年の平成の大合併により津市白山町となりました。
こちらに安置されています薬師如来坐像(県指定文化財)と十一面観音立像(重文)の拝観可能日は、毎年1月17日と8月17日の2日のみ、時間は13時から17時です。
高田寺の由緒はわかっておりませんが、明治時代にあった十三重石塔(売却されて今は無い)には1292年建立(石塔の建立)とあり、鎌倉時代初期はかなりの大寺院であったが、1565年の織田信長の兵火により焼失したと考えられています。再建もままならない内に、明治時代始めに廃寺となりました。現在の集会所はその高田寺の跡地に建てられており、地域の方々により仏像は護られています。
13時過ぎに着きました。一般的な集会所です。写真の通り、仏間をしつらえて安置されています。手を合わせてからじっくり拝観させて頂きました。有難い事に写真もご自由にと仰有って頂きました。
薬師如来坐像は、高田寺の元本尊で、高さ142cm、平安末期作、肩幅が狭く、撫で肩で上半身はやや力強さに欠けますが、膝は安定感があります。
十一面観音立像は、高さ47cm、平安初期の9世紀作、カヤの一木造り、緻密な彫り、素地、凄いです。足元の写真を載せましたが、右膝を曲げて右足の踵を上げて今にも歩き出しそうです。この像が約30年前までは大した仏像ではないと思われていたのです。(恐らく納められていた厨子の墨書きが江戸末期だったからでしょう。)
これだけの仏像ですので、あちこちの展覧会に出陣されているそうで、嬉しそうに展覧会の図録を説明して貰いました。(お気持ちは充分わかります。)
年に2日ですのでなかなかお会いできませんが、また行きたいですね。
こちらに安置されています薬師如来坐像(県指定文化財)と十一面観音立像(重文)の拝観可能日は、毎年1月17日と8月17日の2日のみ、時間は13時から17時です。
高田寺の由緒はわかっておりませんが、明治時代にあった十三重石塔(売却されて今は無い)には1292年建立(石塔の建立)とあり、鎌倉時代初期はかなりの大寺院であったが、1565年の織田信長の兵火により焼失したと考えられています。再建もままならない内に、明治時代始めに廃寺となりました。現在の集会所はその高田寺の跡地に建てられており、地域の方々により仏像は護られています。
13時過ぎに着きました。一般的な集会所です。写真の通り、仏間をしつらえて安置されています。手を合わせてからじっくり拝観させて頂きました。有難い事に写真もご自由にと仰有って頂きました。
薬師如来坐像は、高田寺の元本尊で、高さ142cm、平安末期作、肩幅が狭く、撫で肩で上半身はやや力強さに欠けますが、膝は安定感があります。
十一面観音立像は、高さ47cm、平安初期の9世紀作、カヤの一木造り、緻密な彫り、素地、凄いです。足元の写真を載せましたが、右膝を曲げて右足の踵を上げて今にも歩き出しそうです。この像が約30年前までは大した仏像ではないと思われていたのです。(恐らく納められていた厨子の墨書きが江戸末期だったからでしょう。)
これだけの仏像ですので、あちこちの展覧会に出陣されているそうで、嬉しそうに展覧会の図録を説明して貰いました。(お気持ちは充分わかります。)
年に2日ですのでなかなかお会いできませんが、また行きたいですね。
すてき
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nomuten980投稿
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