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こうたいじんじゃ

元伊勢内宮 皇大神社の御由緒・歴史
京都府 大江山口内宮駅

ご祭神《主》天照皇大神

本殿の両脇に鎮座。
栲機千々姫社 - 本殿左。祭神:栲幡千々姫命
天手力雄命社 - 本殿右。祭神:天手力雄命

末社
計83社
ご神体日室ヶ岳(岩戸山)
創建時代崇神天皇39年(西暦紀元前59年)
創始者崇神天皇、豊鋤入姫命
ご由緒

伝承によれば、第10代崇神天皇39年(西暦紀元前59年)に、「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまでお祀りされていた倭笠縫邑(現奈良県桜井市三輪)をお出になったといわれます。
まず最初に但波(丹波)へお遷りなり、そのご由緒により当社が創建されたと伝えられています。
皇大神は、当地に4年お祀りの後、さらに諸所を経て、垂仁天皇26年(西暦紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになりました。

こうしたことから当社は伊勢神宮内宮の元の宮として、「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと呼ばれ、今も庶民の篤い信仰が続いています。

歴史
歴史[編集] 『倭姫命世記』に、崇神天皇39年、天照太神を奉じた豊鋤入姫命が鎮座地を求めて但波(丹波)国へ遷幸し、吉佐宮を築いて4年間奉斎したと記すが[1]、社伝によれば、当神社はその旧跡であり、天照大神が吉佐宮から遷座した後もその神徳を慕った人々が引き続き伊勢神宮内宮の元の宮として崇敬してきたといい、元明天皇朝(707 - 15年)に社殿を建立したという[2]。また、それとは別に、用明天皇の皇子麻呂子親王が当地の兇賊を成敗するに際して勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』[3] 所引『天橋記』)。 近世以前の沿革は不明であるが、江戸時代には4石3...Wikipediaで続きを読む
引用元情報皇大神社 (福知山市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E5%B8%82%29&oldid=98851382

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