こんごうじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
金剛寺ではいただけません
広告
金剛寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年10月23日(月)
参拝:2023年10月吉日
とても有名な穴太寺のすぐ近くにあるお寺です。
以前穴太寺をお参りした際 カーナビのマップで近くに寺社があることが分かりましたので 日を改めてお参りしました。
有り難いことに駐車場があります。
扉が開いていて境内には入れたものの どなたともお会いできず お話は伺えませんでした。
本堂の戸は閉まっており 何となく遠慮したほうがよさそうな雰囲気で 建物の中に入ってのお参りはできませんでした。
山号は福寿山
宗旨宗派は臨済宗天龍寺派
ご本尊は釈迦牟尼仏
です。
お寺の紹介については ご住職がHPで紹介してくださっているので 借稿します。
当寺は、江戸時代を代表する画家圓山応挙と所縁が深いことから「応挙寺」とも呼ばれています。
応挙は、1733(享保18)年、この村の農家の次男として生まれ、幼少時期(8歳〜15歳頃)に金剛寺で小僧生活をおくりましたが、絵を描くことを好み、また類まれな才能により当時の住職玉堂和尚に勧められ、京都に出て絵を勉強しました。応挙は、既成概念に囚われない斬新な発想で、従来にはなかった写生や遠近法を採り入れ画家として大成しますが、1788(天明8)年応挙56歳のとき両親の追善供養と幼少時代の感謝を込め、本堂全面の襖と壁面56面に「山水図」「波濤図」「群仙図」を描き寄進しました。
現在これらの作品は、国の重要文化財に指定され、掛軸に改装して保管しています。また最近、応挙が玉堂和尚の思い出を描いた掛軸や、応挙が父親の年忌法要を依頼した手紙も発見、応挙と当寺の深い繋がりを裏付ける品として注目されています。
「山水図」「波濤図」は、東京国立博物館に寄託、「群仙図」は収蔵庫に保管、毎年 11 月 3 日「文化の日」に一般公開をしています。
日常は、本堂に「波濤図」の内12襖と「群仙図」の内2襖を復元し、皆様にご覧いただいています。(ただし、事前に要連絡)
これはぜひ予約をして 再びお参りしたいと思いました。
以前穴太寺をお参りした際 カーナビのマップで近くに寺社があることが分かりましたので 日を改めてお参りしました。
有り難いことに駐車場があります。
扉が開いていて境内には入れたものの どなたともお会いできず お話は伺えませんでした。
本堂の戸は閉まっており 何となく遠慮したほうがよさそうな雰囲気で 建物の中に入ってのお参りはできませんでした。
山号は福寿山
宗旨宗派は臨済宗天龍寺派
ご本尊は釈迦牟尼仏
です。
お寺の紹介については ご住職がHPで紹介してくださっているので 借稿します。
当寺は、江戸時代を代表する画家圓山応挙と所縁が深いことから「応挙寺」とも呼ばれています。
応挙は、1733(享保18)年、この村の農家の次男として生まれ、幼少時期(8歳〜15歳頃)に金剛寺で小僧生活をおくりましたが、絵を描くことを好み、また類まれな才能により当時の住職玉堂和尚に勧められ、京都に出て絵を勉強しました。応挙は、既成概念に囚われない斬新な発想で、従来にはなかった写生や遠近法を採り入れ画家として大成しますが、1788(天明8)年応挙56歳のとき両親の追善供養と幼少時代の感謝を込め、本堂全面の襖と壁面56面に「山水図」「波濤図」「群仙図」を描き寄進しました。
現在これらの作品は、国の重要文化財に指定され、掛軸に改装して保管しています。また最近、応挙が玉堂和尚の思い出を描いた掛軸や、応挙が父親の年忌法要を依頼した手紙も発見、応挙と当寺の深い繋がりを裏付ける品として注目されています。
「山水図」「波濤図」は、東京国立博物館に寄託、「群仙図」は収蔵庫に保管、毎年 11 月 3 日「文化の日」に一般公開をしています。
日常は、本堂に「波濤図」の内12襖と「群仙図」の内2襖を復元し、皆様にご覧いただいています。(ただし、事前に要連絡)
これはぜひ予約をして 再びお参りしたいと思いました。
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2024投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。