せんじゅじ|臨済宗妙心寺派|獨鈷抛山(とこなげさん)
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京都府亀岡市にあるお寺です。ぜひお参りしてほしいお寺です。
紅葉の美しい時期にお参りしたかったのですが 道が気になって。。。紅葉前にお参りしました。
四国の巡礼でも経験したのですが すれ違えないような細い山道をどきどきしながら ってメンタルきついです。千手寺さんも山門まで1kmほど山道が続くんです。
紅葉の時期だと参拝者多いはずですから メンタル弱い私には無理。。。となったのです。
駐車スペースまで無事に到着しましたら まあまあ急な石段があります。
先にはとても立派な鐘楼門。明治5年に移築のものだそうですが 山寺ならではの傷み具合というか これが素敵なんですね。
境内には本堂と大師堂(?)と書院(?)と本坊(?)とあとお堂が2つありました。
千手寺さんはHPをおもちで そちらで亀岡盆地を眺めるライブカメラの映像を見ることができました。
霧が発生した日だけをピックアップされた動画もありますので こちらはおススメです。
境内から急な山道を進むと 稲荷社と展望所に行けます。
丸太を切っただけのベンチも置かれていて 亀岡盆地をのんびり眺めるのは素敵でした。
由緒についてはネット情報ですが
開山したのは弘法大師空海。
縁起によれば 空海の師・恵果和尚が真言密教の奥義を独鈷杵に込めてを投げたところ 遠く空の彼方に消えてしまいました。
帰国した空海は春日明神の使いである白鹿に導かれ 松の枝にかかっている独鈷杵を見つけた場所とされます。
山号を獨鈷抛山と呼ばれ また 空海が香木を用いて一刀三礼して千手観音を刻み 安置したことが千手寺の始まりとされます。
また 御本尊の千住観音菩薩は 目の観音の信仰があり 境内から湧き出る水で目を洗ったり飲むと 目病が治るといわれています。
かつて 地元の猟師が 毎夜 怪しい光が現れるのを見て 狸か狐かと思い 弓を射てみたとろこ手応えを感じました。
次の日 血の跡をたどっていくと 矢は千手観音菩薩の左目に当たっていたといいます。
これ以来 猟師は罪を懺悔し 弓矢を捨てることを誓ったといわれています。
ちなみに こちらの山門は かつて愛宕大権現を祀る愛宕山の白雲寺の山門でしたが 明治時代の廃仏毀釈により この千手寺に移築したものです。
大きな石柱 ここまではスムーズです
まだまだ入口付近です
駐車スペースから見て
石柱
途中で一休み 紅葉が始まりかけできれいです
由緒書
鐘楼門の説明
鐘楼門
展望所の説明書き
本堂
内陣
梁には彫刻も
書院かな
大師堂かな
内陣
手水
大師堂(?)の横の鐘
お堂ですが不明です
こちらも不明
杖も用意されています
狐がお迎え
稲荷社
丸太のベンチですね
展望所から見える景色
鐘楼門 本当に見事です
鐘楼門から亀岡の町を見て
歴史
現在は臨済宗妙心寺派に属し「とこなげ山」あるいは「眼病」に霊験あらたかな寺として親しまれています。寺伝によると大同二年(807年)弘法大師の開創といわれ、遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を伝授された大師が帰国に際し、本国に向かって「独鈷(とっこ)」を天に投げたところ白雲を引いて飛び去ったといいます。帰国後その行方を奈良の 春日神社にうかがい「丹波国佐伯の庄山内村の北峰、娑婆山の松の枝にかかっている」との神託により、白鹿に導かれて、この地に来られたということです。以来この地を「鹿谷(ろくや)」山号を「獨鈷抛山(とこなげさん)」十一面千手観音(大師一刀三礼の作)を安置するので「千手寺(せんじゅじ)」というよ うになりました。
当寺は創建後藤原時代に焼失し建長寺の止菴和尚が復興し真言宗から臨済宗に移りました。その後、天正五年(1577年)にも兵火にかかり、妙心寺の禅岩和尚が 再興して妙心寺派に属するようになりました。
名称 | 千手寺 |
---|---|
読み方 | せんじゅじ |
通称 | とこなげさん |
参拝時間 | 随時 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0771-23-1434 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://tokonagesan.kyoto.jp/ |
詳細情報
ご本尊 | 十一面千手千眼観音菩薩 |
---|---|
山号 | 獨鈷抛山(とこなげさん) |
宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建時代 | 807年(大同2年) |
開山・開基 | 弘法大師 |
ご由緒 | 現在は臨済宗妙心寺派に属し「とこなげ山」あるいは「眼病」に霊験あらたかな寺として親しまれています。寺伝によると大同二年(807年)弘法大師の開創といわれ、遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を伝授された大師が帰国に際し、本国に向かって「独鈷(とっこ)」を天に投げたところ白雲を引いて飛び去ったといいます。帰国後その行方を奈良の 春日神社にうかがい「丹波国佐伯の庄山内村の北峰、娑婆山の松の枝にかかっている」との神託により、白鹿に導かれて、この地に来られたということです。以来この地を「鹿谷(ろくや)」山号を「獨鈷抛山(とこなげさん)」十一面千手観音(大師一刀三礼の作)を安置するので「千手寺(せんじゅじ)」というよ うになりました。
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