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臨川寺のお参りの記録(1回目)
京都府嵐山(京福)駅

投稿日:2026年03月15日(日) 17時00分40秒
参拝:2026年2月吉日
臨川寺は京都市右京区にあるお寺です。
こちらは天龍寺の別院です。
嵐山近辺の散策をされたことがある方はご存じだと思うのですが 嵐山観光駐車場の奥にあるお寺です。
目の前には桂川が流れていて すぐ近くには渡月橋もあります。
多くの観光客がこの辺りを散策しています。
桂川沿いに歩いていますと 駐車場と駐車場の間に立派な山門があるので お寺があることはすぐに分かります。
観光駐車場は臨川寺の境内だったんじゃないかと思うぐらいの立地です。
境内は石垣と塀で囲まれていて 山門が閉じられていると中の様子はまったく分かりません。
駐車場から本堂の屋根だけが見えます。
寺号標に 史跡名勝とありますので 特別公開されることもあるのでしょう。
残念ですが山門前で合掌し 写真を撮らせていただきました。

ネット情報です。
山号は霊亀山
宗派は臨済宗天龍寺派
寺格は天龍寺別院・十刹
ご本尊は弥勒菩薩
創建年は建武2年(1335年)
開山は夢窓疎石
開基は後醍醐天皇
そもそもこの地には かつての壇林寺の旧跡(現・天龍寺の附近)に造営された亀山上皇の離宮「亀山殿」の別殿「川端殿」が建てられていた。
その川端殿を御所とした亀山法皇の皇女・憙子内親王が薨去すると その遺領は憙子内親王が我が子同然に養育した世良親王(後醍醐天皇の第二皇子)に授けられた。
禅宗に帰依した世良親王は南禅寺の住持・仏徳禅師を開山として招き 川端殿に禅寺を創建しようとしたが親王は21歳の若さで没してしまい 翌年には仏徳禅師も示寂したことから 父の後醍醐天皇が建武2年(1335年)に夢窓疎石を開山として川端殿を改めて臨川寺を建立した。
翌延元元年(1336年)には諸山に列せられている。
夢窓疎石は天龍寺建立以後 臨川寺に隠棲し同寺にて没したが その遺骸は臨川寺境内の開山堂(霊堂・三会院の左後方)下に葬られ その右方に葬られた世良親王と共に祀られている。
文和2年(1353年)に足利尊氏により准十刹の官刹となるが 永和3年(1377年)に管領細川頼之の働きかけで足利義満により京都五山に列せられた。
ところが 天授5年/康暦元年(1379年)に起きた康暦の政変で細川頼之が失脚したことにより 十刹に格下げされた。
かつては門前(渡月橋から芹川橋間)に関門を設けて諸人の通行を禁止にするほど 国師入定の霊地として重要視された。
現在も特別拝観を除き 通常は非公開となっている。
江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられたほか 臨済宗の十刹に列せられた。
臨川寺(京都府)
山門は閉じられています
臨川寺(京都府)
寺号標
臨川寺(京都府)
目の前は桂川
臨川寺(京都府)
渡月橋もすぐ近くです
臨川寺(京都府)
駐車場の奥に屋根だけ見えます
臨川寺(京都府)
背伸びしてもこれが限界

すてき

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