ほうきょういん
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宝筐院ではいただけません
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宝筐院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月03日(土)
参拝:2024年7月吉日
【善入山(ぜんにゅうざん)宝筐院(ほうきょういん)】
本尊:十一面千手観世音菩薩
宗派:臨済宗
開基:白河天皇
宝筐院は、平安時代に第72代 白河天皇(在位:1073-1087)の勅願寺(善入寺)として建立されたのがはじまりとされます。
南北朝時代になり夢窓疎石の高弟である黙庵周諭(もくあんしゅうゆ)禅師が入寺し、室町幕府の2代将軍 足利義詮(よしあきら)の保護を得て伽藍が整備され、これ以後臨済宗の寺となっています。南朝を代表する武将の楠木正行(まさつら)(小楠公。楠木正成の長男)は四條畷の戦いで北朝の大軍と戦い討ち死にし、黙庵はその首級を生前の交誼により寺内に葬りました。後にこの話を黙庵から聞いた義詮は正行の人柄を褒めたたえ、自分もその傍らに頼んだといいます。1367(貞治5)年に義詮が没すると、正行の墓の隣に葬られました。
第8代将軍足利義政の時代に義詮の院号である宝筐院にちなみ、寺名を宝筐院に改めています。
入口の扉を開けると そこは異空間。深緑の世界でした。
本尊:十一面千手観世音菩薩
宗派:臨済宗
開基:白河天皇
宝筐院は、平安時代に第72代 白河天皇(在位:1073-1087)の勅願寺(善入寺)として建立されたのがはじまりとされます。
南北朝時代になり夢窓疎石の高弟である黙庵周諭(もくあんしゅうゆ)禅師が入寺し、室町幕府の2代将軍 足利義詮(よしあきら)の保護を得て伽藍が整備され、これ以後臨済宗の寺となっています。南朝を代表する武将の楠木正行(まさつら)(小楠公。楠木正成の長男)は四條畷の戦いで北朝の大軍と戦い討ち死にし、黙庵はその首級を生前の交誼により寺内に葬りました。後にこの話を黙庵から聞いた義詮は正行の人柄を褒めたたえ、自分もその傍らに頼んだといいます。1367(貞治5)年に義詮が没すると、正行の墓の隣に葬られました。
第8代将軍足利義政の時代に義詮の院号である宝筐院にちなみ、寺名を宝筐院に改めています。
入口の扉を開けると そこは異空間。深緑の世界でした。
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