せいりょうじ
清涼寺のお参りの記録一覧
【五台山(ごだいさん)清凉寺( せいりょうじ)】
本尊:釈迦如来(生身の釈迦)
宗派:浄土宗
開基:奝然(ちょうねん)
清涼寺の地は、もともと嵯峨天皇の皇子で、「源氏物語」の主人公光源氏のモデルとされる左大臣源融(みなもとのとおる)の別荘 栖霞観(せいかかん)があったところで、源融の一周忌に当たる896(寛平8)年、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺(せいかじ)としました。
棲霞寺草創から数十年後、宋に渡り、五台山を巡礼した東大寺出身の僧 奝然(938 - 1016)は、台州の開元寺で現地の仏師に命じて古代インドの優填王(うでんおう)が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻した1体の釈迦如来像を謹刻させました。その釈迦像は、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」や、釈迦に生き写しとされ、生きているお釈迦様「生身の釈迦」と呼ばれています。奝然は、987(永延元)年、日本に帰国後、京都の愛宕山を宋の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦如来立像を安置する寺・大清凉寺を建立しようとしましたが、様々な障害に阻まれます。彼の遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の釈迦堂に「栴檀の瑞像」(三国伝来の釈迦像)を安置すると、釈迦堂は華厳宗の寺・五台山清凉寺と改変され、その後、華厳宗の他に天台宗、真言宗を兼ねるようになりました。
1279(弘安2)年以降、大念仏中興上人と呼ばれる円覚が、当寺で融通念仏を勤修しています。その後、大念仏が盛んになり、釈迦堂は融通念仏宗の道場となりました。中世以降、清凉寺は浄土宗の寺となっています。
【仁王門】
【仁王門 扁額】
【法然上人像】
浄土宗を開いた法然上人は24歳の時、広く人々を救うための仏教を求めて、釈迦像の前に7日間おこもりになりました。
【多宝塔】
【本堂(釈迦堂)】
【本堂 扁額】
栴檀瑞像。
【川中島】
【弁天堂】
【弁天堂】
【阿弥陀堂】
【豊臣秀頼の首塚】
【鐘楼】
【狂言堂】
【本堂】
【本堂】
【御朱印】
京都三代火祭りの一つ、お松明を見学に。たまたま情報を見つけるまで、知らなかったお祭りだ。地元のお祭り色がつよいらしく、屋台が出て近所の子供達が多く集まっているらしい。
巨大な松明が境内に3基立っている。
昼過ぎから開催されている狂言の三つ目の演目、土蜘蛛をまずは観覧。
その後松明に火が灯るのを待つ。定刻を過ぎて、お坊さんと保存会の人たちが提灯を掲げながら松明の周りをぐるぐる。その後、お経があげられる中、松明に順に着火される段取りだったものが、当日はとても風が強く、種火の火の粉が松明の一本に点火してしまいあっという間に燃え尽きる。
正式な形で点火された2基はなかなか燃え尽きないというなかなか珍しい事態らしく、保存会の方のこんなことは初めてだ…という言葉が漏れ聞こえた。昔は燃え方でその年の吉兆を占ったとか。さて今年は…?
聖徳太子殿(夢殿)を目指してお参り。
なんと憧れの小堀遠州作のお庭もありました。
15分ほどでできる文字数少なめの写経もあって、
写経もしました。
帰りにはお茶屋さんで、生麩のお菓子とお抹茶いただきました。
建築の勉強してから、軒が気になるようになりました。
門からの境内
足元の石も楽しめます。
山門くぐって、左側の茂みの奥に聖徳太子殿
経蔵
一回100円
しっかり回しました
お庭へ
弁天堂
写経
生麩のお菓子と抹茶(1100円)
お庭眺めながら記帳しました。
半分くらいは、海外の方でした。
京都市右京区にあるお寺です。
山号は五台山
宗旨宗派は浄土宗
ご本尊は釈迦如来(生身の釈迦、国宝)
です。
宗派は初め華厳宗として開山し、その後天台宗、真言宗を兼ねました。
室町時代より融通念仏宗の道場として発展したそうです。
宗派って兼ねることができたとは知りませんでした。そんなんあり?なんですね。
本殿をお参りしたあと、本殿裏手から続く廊下を渡り、方丈を見ることができます。
落ち着いた方丈庭園が見られます。
また、杉の戸にはおそらく昔は極彩色だった絵が見られます。
霊宝館が特別公開だったので拝観しました。
残念ながらパンフレットなどは購入できませんでした。
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