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どんげいんもんぜき

曇華院門跡のお参りの記録(1回目)
京都府鹿王院駅

投稿日:2026年03月11日(水) 22時19分18秒
参拝:2026年2月吉日
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曇華院門跡は京都市右京区にあるお寺です。
山門の寺号標に曇華院門跡とありますので 門跡寺院ということで期待大でした。
山門も開いています ありがたく境内に入らせていただきました。
すぐ左手に本堂の玄関があるのですが こちらに車が停められています。
ますます期待大。
しかし結果 こちらは通常非公開寺院でした。
鎮守社と鐘楼を拝見して 車が停められているので 鎮守社の前で合掌。
ちょっと変ですがお許しいただきます。
一昨年 京都非公開文化財特別公開で拝観できたようです。

ネット情報です。
山号は瑞雲山
宗旨は臨済宗
宗派は単立
ご本尊は十一面観音
創建年は至徳2年(1385年)
開山は智泉聖通尼
中興年は寛文年間(1661年 - 1673年)
中興は大成聖安尼
別称は曇華院門跡・竹の御所
14世紀後半 かつて以仁王が住んでいた三条東洞院(現・中京区)の高倉宮の跡地に 室町幕府第3代将軍足利義満の母・紀良子の母であり また順徳天皇の孫・四辻宮尊雅王の子である智泉聖通尼が開山となって通玄寺が建立され 康暦2年(1380年)12月8日には仏殿の起工式が行われている。
当院は 至徳2年(1385年)に 智泉聖通尼が自らの隠居場として通玄寺境内に塔頭・曇華庵として創建されたものである。
その後 通玄寺は義満によって京都尼五山の第3位に定められ 曇華庵には将軍家の息女が入室して通玄寺の住持などに就いていたが 通玄寺と曇華庵は応仁の乱の戦火によって焼失した。
応仁の乱の終結後には曇華庵は通玄寺を吸収合併して寺名を曇華院と改め 後に新たな本尊として恵心僧都源信の作という十一面観音を祀っている。
天文21年(1552年)には後奈良天皇の皇女・聖秀尼が入寺している。
寛文年間(1661年 - 1673年)に後西天皇の皇女・大成聖安尼が入寺して中興し 宝永4年(1707年)に東山天皇から紫衣を賜っている。
これにより尼寺として大聖寺や宝鏡寺と並ぶ特権を得ている。
宝永5年(1708年)3月8日の宝永の大火によって焼失するが 25世・聖祝尼が入寺して再建している。
文化4年(1807年)に「竹之御所」の号を勅許されたが 文政10年(1827年)に27世・秀峰尼が亡くなると以後は無住となった。
1873年(明治6年)に46年間無住であった当院に28世・清山慈廉尼が入寺すると 勅命により現在地となる鹿王院の塔頭・瑞応院の跡地に移転して再興された。
太平洋戦争後の1951年(昭和26年)に臨済宗天龍寺派から独立している。
曇華院門跡(京都府)
山門は開いていました
曇華院門跡(京都府)
寺号標
曇華院門跡(京都府)
本堂の玄関に車が
曇華院門跡(京都府)
鎮守社
曇華院門跡(京都府)
鐘楼
曇華院門跡(京都府)
奥に墓所があるようです

すてき

みんなのコメント1件)

くるくるきよせんさま
コメントありがとうございます!
御朱印集めもホトカミも最近始めたばかりで右も左もわからない状態ですが、よろしくお願いいたします!

2026年03月12日(木) 08時08分01秒
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