ろくおういん
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楽しみ方鹿王院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月13日(金) 21時40分20秒
参拝:2026年2月吉日
鹿王院は京都市右京区にあるお寺です。
曇華院門跡のすぐお隣にあります。
嵐電鹿王院駅のすぐ南側です。
山門手前に 鹿王院庭園の説明がありました。
これは期待してしまいますね。
山門に柵があったのですが 入ってすぐの所に拝観受付があり 柵の一部が開いていましたので境内に入らせていただきました。
参道は100m以上と長く 左手には竹林 右手には梅が咲くお庭がありました。
モミジも植わっていて 秋には見事な紅葉が見られるようです。
中門までに境内社が2つありました。
一つは三社大明神 もう一つは春香大明神です。
中門まででも自然を楽しませていただいたのですが 中門をくぐると 庫裡前庭が広がります。
こちらはおそらく桜の花を楽しめるお庭です。
苔庭に石板を敷いてあり オブジェのような感じもします。
元鬼瓦?と思われるものと サンゴ?と思われるものも置かれていました。
庫裡で拝観受付をすませ 御朱印をお願いしました。
客殿に上がらせていただきますと 目の前に本庭と舎利殿が見えます。
本庭では庭師の方が手入れをされている真っ最中でした。
客殿から先に進めるのか聞こうとしたのですが 聞えなかったのか返答がありませんでした。
少しするとお父様が一人客殿に来られました。
拝観者かな?と思ったら 私と妻に話しかけてくるんです。
近所の方だそうで 毎日こちらに参拝されているとのことでした。
「勝手にガイドしてるんです」と お庭のことを教えてくださいました。
ありがたいですね。
「舎利殿や昭堂にも入れますよ」とのことで ありがたく先に進ませていただきました。
こちら鹿王院は 金閣寺を創建された足利義満公が 金閣寺より前に創建されたもので 舎利殿はこちらのものを参考にして造られたそうです。
なるほどよく似ています。
そしてこの舎利殿には 本来お釈迦様の遺骨である舎利が収められるのですが そもそも舎利には限りがあり 経典などを納めるお寺もありますが こちら鹿王院には 正真正銘仏牙舎利が収められているそうです。
舎利殿も昭堂も見事でした。
昭堂は仏堂(本堂)と開山堂を兼ねていらっしゃるとのことです。
戻ってくると再びお父さんが話しかけてくれました。
「こちらはお宝がたくさんあるのに
「舎利殿の中の仏様の絵葉書が最近できたんですよ」
はい購入決定。
お父さんのガイドのおかげで有意義な時間が過ごせました。
ネット情報です。
山号は覚雄山
宗旨は臨済宗
宗派は単立
ご本尊は釈迦如来
創建年は康暦2年(1380年)
開山は春屋妙葩
開基は足利義満
中興年は寛文年間(1661年 - 1673年)
中興は酒井忠知・虎岑玄竹
足利義満は康暦元年(1379年)のある夜 「そなたは今年中に大患をわずらうが 宝幢如来を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びるであろう」との夢告を受けた。
そのため 義満は自らの帰依する禅僧・春屋妙葩(普明国師)を開山として一寺を建立することとし 康暦2年(1380年)に完成した。
当初の寺号は興聖寺といい 後に宝幢寺(詳名は覚雄山 大福田 宝幢禅寺)に改称したという。
鹿王院は 嘉慶元年(1387年) 開山の春屋妙葩の寿塔(生前に造る墓)を守る塔頭として創建されたものである(春屋の死去は翌嘉慶2年・1388年)。
名称の由来は この土地を開いた時に野鹿が群れをなしていたからだという。
その後 宝幢寺は京都十刹の第5位に列せられるほど隆盛を誇ったが 応仁の乱に巻き込まれて炎上しそのまま廃絶した。
しかし 開山堂があった鹿王院のみは残り 宝幢寺の寺籍を継いだ。
慶長年間(1596年 - 1615年)の地震で伽藍が荒廃したが 寛文年間(1661年 - 1673年)に酒井忠知によって再興され 忠知の子である虎岑玄竹(こしんげんちく)が中興開山となった。
曇華院門跡のすぐお隣にあります。
嵐電鹿王院駅のすぐ南側です。
山門手前に 鹿王院庭園の説明がありました。
これは期待してしまいますね。
山門に柵があったのですが 入ってすぐの所に拝観受付があり 柵の一部が開いていましたので境内に入らせていただきました。
参道は100m以上と長く 左手には竹林 右手には梅が咲くお庭がありました。
モミジも植わっていて 秋には見事な紅葉が見られるようです。
中門までに境内社が2つありました。
一つは三社大明神 もう一つは春香大明神です。
中門まででも自然を楽しませていただいたのですが 中門をくぐると 庫裡前庭が広がります。
こちらはおそらく桜の花を楽しめるお庭です。
苔庭に石板を敷いてあり オブジェのような感じもします。
元鬼瓦?と思われるものと サンゴ?と思われるものも置かれていました。
庫裡で拝観受付をすませ 御朱印をお願いしました。
客殿に上がらせていただきますと 目の前に本庭と舎利殿が見えます。
本庭では庭師の方が手入れをされている真っ最中でした。
客殿から先に進めるのか聞こうとしたのですが 聞えなかったのか返答がありませんでした。
少しするとお父様が一人客殿に来られました。
拝観者かな?と思ったら 私と妻に話しかけてくるんです。
近所の方だそうで 毎日こちらに参拝されているとのことでした。
「勝手にガイドしてるんです」と お庭のことを教えてくださいました。
ありがたいですね。
「舎利殿や昭堂にも入れますよ」とのことで ありがたく先に進ませていただきました。
こちら鹿王院は 金閣寺を創建された足利義満公が 金閣寺より前に創建されたもので 舎利殿はこちらのものを参考にして造られたそうです。
なるほどよく似ています。
そしてこの舎利殿には 本来お釈迦様の遺骨である舎利が収められるのですが そもそも舎利には限りがあり 経典などを納めるお寺もありますが こちら鹿王院には 正真正銘仏牙舎利が収められているそうです。
舎利殿も昭堂も見事でした。
昭堂は仏堂(本堂)と開山堂を兼ねていらっしゃるとのことです。
戻ってくると再びお父さんが話しかけてくれました。
「こちらはお宝がたくさんあるのに
「舎利殿の中の仏様の絵葉書が最近できたんですよ」
はい購入決定。
お父さんのガイドのおかげで有意義な時間が過ごせました。
ネット情報です。
山号は覚雄山
宗旨は臨済宗
宗派は単立
ご本尊は釈迦如来
創建年は康暦2年(1380年)
開山は春屋妙葩
開基は足利義満
中興年は寛文年間(1661年 - 1673年)
中興は酒井忠知・虎岑玄竹
足利義満は康暦元年(1379年)のある夜 「そなたは今年中に大患をわずらうが 宝幢如来を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びるであろう」との夢告を受けた。
そのため 義満は自らの帰依する禅僧・春屋妙葩(普明国師)を開山として一寺を建立することとし 康暦2年(1380年)に完成した。
当初の寺号は興聖寺といい 後に宝幢寺(詳名は覚雄山 大福田 宝幢禅寺)に改称したという。
鹿王院は 嘉慶元年(1387年) 開山の春屋妙葩の寿塔(生前に造る墓)を守る塔頭として創建されたものである(春屋の死去は翌嘉慶2年・1388年)。
名称の由来は この土地を開いた時に野鹿が群れをなしていたからだという。
その後 宝幢寺は京都十刹の第5位に列せられるほど隆盛を誇ったが 応仁の乱に巻き込まれて炎上しそのまま廃絶した。
しかし 開山堂があった鹿王院のみは残り 宝幢寺の寺籍を継いだ。
慶長年間(1596年 - 1615年)の地震で伽藍が荒廃したが 寛文年間(1661年 - 1673年)に酒井忠知によって再興され 忠知の子である虎岑玄竹(こしんげんちく)が中興開山となった。

由緒書

庭園の説明

山門には柵がありますが入れます

拝観受付は無人でした

参道は100m以上

けっこう長いです

境内社

祠の戸が開いていました

もうひとつ境内社

春香稲荷大神

本殿

ようやく中門

境内のお庭も美しいです

庫裡前庭

石板が敷かれています

元鬼瓦?

サンゴ?

庫裡

庫裡の扁額

客殿から見た庭

舎利殿

回廊から客殿を見て

樹齢300年を越える古木らしい

舎利殿には入れます

舎利殿横にもうひとつ門

昭堂(本堂と開山堂を兼ねる)

もうひとつの門 外側

参道横の庭

参道横に竹林
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3281投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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