にゅうほうざん さいほうじ
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楽しみ方入逢山 西方寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年02月12日(木) 19時54分20秒
参拝:2026年1月吉日
京都市右京区にあるお寺です。
右京区にはもう一つ西方寺がありますが そちらは西京極北裏町にあります。
(投稿させていただきました)
こちらは常盤出口町の天王社八幡宮のすぐ前にあります。
ハマの「寺(テラ)」リストさんの投稿で こちらで天王社八幡宮のご朱印がいただけるとありました。
が インターホンはなく 山門に柵があり 中に入ることができませんでした。
正確には横の戸が開いていましたが これって入っていいですよではないですよね。
GRコードが貼られていましたので 事前予約すればいただけたんだろうと思いました。
山門前で合掌し 境内の写真を撮らせていただきました。
建物は新しくて再建されたものだと思います。
苔に万両の取り合わせが美しいお庭でした。
大木は槇の木だと思うのですが 造り込まれたお庭という感じで美しかったです。
こちらには是非お庭を拝見するために再訪したいと思いました。
ネット情報です。
山号は入逢山
宗旨は浄土宗
ご本尊は阿弥陀如来
創建年は1259年(正元元年)
開基は宇都宮頼綱です。
西方寺は 1259年(正元元年) 当時既にあった寺(西明寺とされる)の境内に 法然に帰依して出家した宇都宮氏第5代当主宇都宮頼綱(実信房蓮生)が念仏堂を建て 西方寺と呼んだことに始まるとされる。
宇都宮頼綱は関東・宇都宮にあって鎌倉幕府に仕える御家人であったが 北条氏との政権抗争に巻き込まれ 謀反の嫌疑をかけられたのを機に折から熊谷直実(蓮生)の勧めで入信していた法然の元で出家し 京に隠遁した人物である。
京では藤原定家と懇意になり 定家の子の為家に娘を嫁がせ姻戚関係を結んだ。
応仁の乱の際は 焼失した仁和寺の寺基が 再建されるまでの170年の間 当寺に移されたといわれる。
右京区にはもう一つ西方寺がありますが そちらは西京極北裏町にあります。
(投稿させていただきました)
こちらは常盤出口町の天王社八幡宮のすぐ前にあります。
ハマの「寺(テラ)」リストさんの投稿で こちらで天王社八幡宮のご朱印がいただけるとありました。
が インターホンはなく 山門に柵があり 中に入ることができませんでした。
正確には横の戸が開いていましたが これって入っていいですよではないですよね。
GRコードが貼られていましたので 事前予約すればいただけたんだろうと思いました。
山門前で合掌し 境内の写真を撮らせていただきました。
建物は新しくて再建されたものだと思います。
苔に万両の取り合わせが美しいお庭でした。
大木は槇の木だと思うのですが 造り込まれたお庭という感じで美しかったです。
こちらには是非お庭を拝見するために再訪したいと思いました。
ネット情報です。
山号は入逢山
宗旨は浄土宗
ご本尊は阿弥陀如来
創建年は1259年(正元元年)
開基は宇都宮頼綱です。
西方寺は 1259年(正元元年) 当時既にあった寺(西明寺とされる)の境内に 法然に帰依して出家した宇都宮氏第5代当主宇都宮頼綱(実信房蓮生)が念仏堂を建て 西方寺と呼んだことに始まるとされる。
宇都宮頼綱は関東・宇都宮にあって鎌倉幕府に仕える御家人であったが 北条氏との政権抗争に巻き込まれ 謀反の嫌疑をかけられたのを機に折から熊谷直実(蓮生)の勧めで入信していた法然の元で出家し 京に隠遁した人物である。
京では藤原定家と懇意になり 定家の子の為家に娘を嫁がせ姻戚関係を結んだ。
応仁の乱の際は 焼失した仁和寺の寺基が 再建されるまでの170年の間 当寺に移されたといわれる。
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3190投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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