すみよしおおともじんじゃ
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楽しみ方住吉大伴神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年02月09日(月) 21時30分00秒
参拝:2026年1月吉日
京都市右京区にある神社です。
龍安寺から仁和寺に続く道の途中にあります。
仁和寺の方に向かって 西に歩いていましたら お寺?と思うような敷地と建物が見えました。
ところが山門がありません。
奥の方に山門があるのかなぁと思いながらじろじろ見ていましたら キャンピング指月林とありました。
こんな町中にキャンプ場?と思って見ていましたら どうやら公益財団法人所有のものらしいのです。
残念と思って歩みを進めていましたら すぐそばに神社を発見。
ありがたく参拝させていただくこととなりました。
町中の神社ですが 境内は広く 立派な社殿をおもちです。
立派な社務所もあるのですが無人でした。
タイミングが良ければ御朱印もいただけたようです。
散策していてこのような神社に出会えると嬉しくなります。
由緒書には
住吉大伴とは古代の豪族大伴氏を祭る伴氏神社に住吉大神を合わせ祭った事による。
大伴氏は はじめ大和国にあってその勢力を振るっていたが 平安遷都によりこの地に移住し その先祖の神天押日命を祭ったのである。
「続日本記」には 「承和元年正月賜葛野郡上林郷地方於伴宿禰等為氏神之所」 又「嘉永2年12月授従五位下伴氏神社」とあり 大伴氏は上代の武門の家として物部氏と共に皇居を警衛し禍乱を鎮圧して功を立てた一族であり 後に淳和天皇の御諱の大伴親王をはばかり伴氏と改めたのである。
応天門の変(866)によって伴善男が伊豆に流されてから衰退し伴氏神社の名も世に疎くなっていったものと思われる。
並河永編するところの「山城誌」に「伴氏神社(中略)在龍安寺村今称住吉」とあり 又伴信友の「神名帳考証」には「伴氏神社(中略)「今龍安寺村にありて住吉という」とあり 両書とも古伝によるものであるが当社が伴氏神社と同じ地にありながらいつの世にか住吉神社と称せられるに至ったのは伴氏の衰微と共に葛野郡に山荘を営む徳大寺家の領しるところとなり その徳大寺家の和歌の神として崇めた住吉三神を祭ったことにより伴氏神社は住吉神社として祭られ それ以降永く龍安寺 谷口地区の氏神として崇敬されて居た。
昭和17年8月21日許しを得て住吉3神及び大伴祖神を合祀 社名を住吉大伴神社と変更して今日に至る。
住吉の神の和と大伴の神の武それぞれ和武合体中庸を保ちて和平の神と崇められている。
とありました。
ネット情報です。
主祭神は天忍日命・道臣命・住吉三神
社格は旧村社です。
衣笠山などに続く住吉山の山麓 京都市道183号(きぬかけの道)の南側にある。
南西150mには仁和寺が 北東150mには龍安寺がある。
右京区龍安寺や右京区谷口などの産土神である。
かつては 「伴氏(ともうちの)神社」ともいわれ 周辺には大伴氏が住んでいた。
祭神は 古代豪族の大伴氏祖神・天忍日命(あまのおしひのみこと) 道臣命(みちのおみのみこと) 住吉三神の上筒男命(うわつつおのみこと) 中筒男命(なかつつおのみこと) 底筒男命(そこつつおのみこと)。
大伴氏の没落後 山城国葛野郡上林郷の当地は左大臣・藤原実能(徳大寺実能)などを輩出した徳大寺家の領地となった。
平安時代末期には徳大寺家によって住吉神が祀られ 住吉神社と改称された。
中世までの史料では近世の『山城誌』などの史料はこの住吉神社をかつての伴氏神社に比定している。
昭和期に入って再び大伴祖神を祀るべきという意見が強まったため 1942年(昭和17年)には天忍日命と道臣命が合祀され 現行の住吉大伴神社と改称した。
龍安寺から仁和寺に続く道の途中にあります。
仁和寺の方に向かって 西に歩いていましたら お寺?と思うような敷地と建物が見えました。
ところが山門がありません。
奥の方に山門があるのかなぁと思いながらじろじろ見ていましたら キャンピング指月林とありました。
こんな町中にキャンプ場?と思って見ていましたら どうやら公益財団法人所有のものらしいのです。
残念と思って歩みを進めていましたら すぐそばに神社を発見。
ありがたく参拝させていただくこととなりました。
町中の神社ですが 境内は広く 立派な社殿をおもちです。
立派な社務所もあるのですが無人でした。
タイミングが良ければ御朱印もいただけたようです。
散策していてこのような神社に出会えると嬉しくなります。
由緒書には
住吉大伴とは古代の豪族大伴氏を祭る伴氏神社に住吉大神を合わせ祭った事による。
大伴氏は はじめ大和国にあってその勢力を振るっていたが 平安遷都によりこの地に移住し その先祖の神天押日命を祭ったのである。
「続日本記」には 「承和元年正月賜葛野郡上林郷地方於伴宿禰等為氏神之所」 又「嘉永2年12月授従五位下伴氏神社」とあり 大伴氏は上代の武門の家として物部氏と共に皇居を警衛し禍乱を鎮圧して功を立てた一族であり 後に淳和天皇の御諱の大伴親王をはばかり伴氏と改めたのである。
応天門の変(866)によって伴善男が伊豆に流されてから衰退し伴氏神社の名も世に疎くなっていったものと思われる。
並河永編するところの「山城誌」に「伴氏神社(中略)在龍安寺村今称住吉」とあり 又伴信友の「神名帳考証」には「伴氏神社(中略)「今龍安寺村にありて住吉という」とあり 両書とも古伝によるものであるが当社が伴氏神社と同じ地にありながらいつの世にか住吉神社と称せられるに至ったのは伴氏の衰微と共に葛野郡に山荘を営む徳大寺家の領しるところとなり その徳大寺家の和歌の神として崇めた住吉三神を祭ったことにより伴氏神社は住吉神社として祭られ それ以降永く龍安寺 谷口地区の氏神として崇敬されて居た。
昭和17年8月21日許しを得て住吉3神及び大伴祖神を合祀 社名を住吉大伴神社と変更して今日に至る。
住吉の神の和と大伴の神の武それぞれ和武合体中庸を保ちて和平の神と崇められている。
とありました。
ネット情報です。
主祭神は天忍日命・道臣命・住吉三神
社格は旧村社です。
衣笠山などに続く住吉山の山麓 京都市道183号(きぬかけの道)の南側にある。
南西150mには仁和寺が 北東150mには龍安寺がある。
右京区龍安寺や右京区谷口などの産土神である。
かつては 「伴氏(ともうちの)神社」ともいわれ 周辺には大伴氏が住んでいた。
祭神は 古代豪族の大伴氏祖神・天忍日命(あまのおしひのみこと) 道臣命(みちのおみのみこと) 住吉三神の上筒男命(うわつつおのみこと) 中筒男命(なかつつおのみこと) 底筒男命(そこつつおのみこと)。
大伴氏の没落後 山城国葛野郡上林郷の当地は左大臣・藤原実能(徳大寺実能)などを輩出した徳大寺家の領地となった。
平安時代末期には徳大寺家によって住吉神が祀られ 住吉神社と改称された。
中世までの史料では近世の『山城誌』などの史料はこの住吉神社をかつての伴氏神社に比定している。
昭和期に入って再び大伴祖神を祀るべきという意見が強まったため 1942年(昭和17年)には天忍日命と道臣命が合祀され 現行の住吉大伴神社と改称した。

南側 参道

鳥居は南側と西側にありました

鳥居の扁額

手水舎

由緒書

拝殿

そんなに古くはないかな


拝殿の扁額

拝所 奥が本殿

境内社 小松尾大明神

扁額

社務所

社務所をぐるっとまわると

社号の石柱があり

西側の鳥居がありました 通行止め
すてき
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くるくるきよせん3177投稿
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