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せんじゅじきょうとべついん

専修寺京都別院のお参りの記録(1回目)
京都府鳴滝駅

投稿日:2026年05月07日(木) 22時01分37秒
参拝:2026年4月吉日
専修寺京都別院は京都市右京区にあるお寺です。
大仙寺のすぐお隣にありました。
寺号の碑があって 真宗高田派本山専修寺京都別院とありました。
こちらが本山の別院なのか。
ということは 先ほどの龍源寺と大仙寺は末寺ということか。
石段を上がろうとしたら コンクリートの壁に龍源寺の名前がありました。
ん?龍源寺はさっき参拝したはず。まぁいっか。
石段を上がると 山門だと思っていた門は鐘楼門でした。
木組みがとてもしっかりしていました。
境内左手に本堂がありました。
こちらは新しい建物でコンクリート製ですね。
庫裡は少し古い建物でした。
鐘楼門ですから 鐘楼まで上がる階段もあったのですが 上がるのは控えました。
鐘楼門前にはモミジがあり 新緑ではありますが 重なった画は美しいです。
紅葉していたらきれいでしょうね。

ネット情報です。
専修寺別院は 真宗高田派専修寺(三重県津市)の別院であり 本尊は阿弥陀如来像を安置する。
天文年間(1532-1555) 高田派第11世・応真は 宗祖・親鸞(1173-1262)がかつて二条冷泉冨小路か二条の辺に寓居したとして追慕し 一条柳原に一宇を建立した。
「柳原坊」と号した。(寺伝)
その後 火災になる
1587年 堯恵が間之町(あいのまち)押小路高田町に一宇を再建し 「高田坊」に改めた。
北政所の化粧殿を移し本堂にする。
宇治・恵心院の本尊 恵心僧都(942-1017)作の阿弥陀如来坐像を遷して本尊にしたという。(寺伝)
その後 火災により諸堂が焼失する。
1605年 堯恵の時 間之町押小路(中京区高田町)に移るともいう。
1617年 堯隆の時 河原町二条清水町(中京区)に移る。
本堂は聚楽第の化粧殿を移したという。
1683 恵隆の時 命により 河原町に再建し「本誓寺(ほんせいじ)」に改める。
本山掛所であり 「又里坊」「高田坊所」「高田御坊」とも呼ばれた。
夷川通に面していた。(寺伝)
1708年 宝永の大火により類焼した。
1745年5月 第115代・桜町天皇は 本寺の霊仏である一光三尊仏を宮中に迎えて供養礼拝した。(寺伝)
1788年 天明の大火に類焼する。
その後 表門を河原町通に移している。(寺伝)
1882年 「専修寺別院」と改称する。
境内奥地に御殿が建てられ 歴代法主の宿所に当てられる。
法主の上洛に際して 本願寺法主らが御殿を訪問する。(寺伝)
1947年 失火により本堂・御殿などが焼失した。
1961年 現在地の宇多野(右京区)に移り再建される。
墓地 塔頭5寺のうち 2寺(大仙寺・竜源寺)も共に移る。(寺伝)
なるほど 大仙寺と龍源寺は塔頭寺院だったわけですね。
専修寺京都別院(京都府)
寺号の碑
専修寺京都別院(京都府)
ん?龍源寺の寺号も並列である?
専修寺京都別院(京都府)
石段を上がると鐘楼門です
専修寺京都別院(京都府)
しっかりした木組みですね 中に入れます
専修寺京都別院(京都府)
本堂
専修寺京都別院(京都府)
本堂前
専修寺京都別院(京都府)
庫裡
専修寺京都別院(京都府)
庫裡
専修寺京都別院(京都府)
鐘楼門 内側から見て
専修寺京都別院(京都府)
こちらを上がると鐘楼 でも上がりませんでした
専修寺京都別院(京都府)
モミジが重なってきれい

すてき

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