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とばてんのうこうごうしょうし はなぞのにしのみささぎ

鳥羽天皇皇后璋子 花園西陵
京都府 花園駅

鳥羽天皇皇后璋子 花園西陵の基本情報

住所

京都府京都市右京区花園扇野町

行き方

JR山陰本線「花園」駅下車 徒歩6分

アクセスを詳しく見る
名称

鳥羽天皇皇后璋子 花園西陵

読み方

とばてんのうこうごうしょうし はなぞのにしのみささぎ

詳細情報

ご祭神第74代・鳥羽天皇皇后 璋子(待賢門院)
ご由緒

鳥羽天皇の中宮。父は、大納言藤原公実。母は、堀河天皇・鳥羽天皇の乳母典侍藤原光子。
幼い時に祗園の女御の猶子となり、その縁で白河法皇の猶子ともなり愛育される。
 1117年(永久5年)12月、璋子は鳥羽天皇の後宮に入内し女御の宣旨を賜った。翌年正月、璋子は皇后(中宮)に冊立され、三条西殿において立后の儀式を挙げた。璋子は、顕仁親王<崇徳天皇>、禧子内親王・通仁親王・君仁親王・統子内親王(上西門院)・雅仁親王<後白河天皇>・本仁親王(覚性法親王)を産んだ。顕仁親王が5歳にして皇位につくと、璋子は今上帝の生母であるため院に列せられ、院号を待賢門院と賜った。
 白河法皇の崩御後、鳥羽上皇のもとに藤原得子(のちの美福門院)が入侍し、待賢門院は法金剛院を建立し、ここで過ごすことが多くなった。待賢門院は仏法にも精進していたが、1142年(永治2年=翌康治元年)2月には落飾し法名を真如法といった。
 待賢門院は長兄・藤原実行の三条高倉第において、1145年(久安元年)8月22日、鳥羽法皇に看取られて崩じ、法金剛院の北にある五位山の花園西陵に葬られた。

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