りゅうえんじ|浄土宗西山深草派|紫雲山
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楽しみ方龍淵寺のお参りの記録一覧

京都市西京区にある浄土宗西山派のお寺です。
大原野から樫原(桂駅近辺)に来ました。
この日は大原野で桜を観て 樫原で三宮神社へのお参りを予定していたのです。
三宮神社までの間に いくつか寺社に寄らせていただきました。
近くにある 石焼生パスタ蔵之助 というお店でパスタをいただけます。(少しお高いですが旨いです)
お店を出てすぐの所にお寺があります。
山門は開いていて くぐってすぐ右手に地蔵尊の扁額があるお堂がありました。
由緒書がありました。
明智光秀が丹波国を平定した際 秦之氏の家臣が地蔵堂に逃げ込み 出家し 108歳まで長寿を全うしたと言われています。
このことからこのお地蔵様が雲林院延命地蔵と呼ばれるようになり 無病息災・諸願成就・安産に霊験あらたかと祀られています。
ここではもちろん 健康長寿をお願いいたしました。
龍淵寺の歴史についてはネット情報。
永禄年間(1558~70年頃) 浄土宗西山派の僧侶(洞空文翁上人)が樫原を訪れ草庵を建立。
天正七年(1579年) 物集女街道と旧山陰街道の辻にあった地蔵堂へ 戦に敗れ逃げ込んできた武士が洞空文翁上人と出会い出家得度。
天正十年(1582年) 樫原の人々と念仏講・地蔵講を作り寺院建立を嘆願 現在の地を明智光秀公より賜る。十月に龍淵寺(当時の名称は紫雲山地福院天正寺)建立。
正徳元年(1711年) 老朽化により再建。長岡京にある西山浄土宗総本山光明寺第三十八世作遵大和尚を迎え入仏落慶法要を盛大に厳修。
文政四年(1821年) 火災により焼失するもご本尊 過去帳は持ち出され無事であった。
文政六年(1823年) 龍淵寺再建。現在の本堂の姿に。
文久元年(1871年) 役所による所轄変更により知恩院の末寺となるが 浄土宗西山派に戻すよう役所へ所轄変更を願うが受理されず 年月が経ち明治新政府となる。
明治二十八年(1895年) 問題の解決が進まないことを当時の浄土宗西山深草派管長である音空上人が聞き 知恩院・光明寺・檀信徒の仲介に入ることに。その過程で長崎県の深草派末寺龍淵寺と地福院の寺名を交換し 当寺は浄土宗西山深草派末寺紫雲山龍淵寺となった。

社号の石柱

山門は開いていました

境内にお地蔵様

辻のお地蔵さんと呼ばれています

境内の様子

外観
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