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楽しみ方長福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月23日(金) 19時26分35秒
参拝:2025年12月吉日
右京区散策の続きです。
京都市右京区にあるお寺です。
入口は二つありました。
北側の入口には看板があり ここが入口だとすぐ分かりました。
しかし細長い道を挟んで両側に門があり どちらも開けられそうですが通ってはいけなさそうな雰囲気がありました。
東側の入口は車の入口だと思うのですが 門にチェーンがかけられていましたので こちらも入れません。
長福寺さんでは 山門にたどり着けませんでした。
遠くから見ると 駒札(由緒書)もありますので 参拝したかったです。
写真を撮って終わりになってしまいました。
ネット情報です。
おそらく駒札に書かれているものだと思います。
山号を密乗山といい 現在は真言宗泉涌寺派に属する。
寺伝によれば 寺の創建は秦氏らが活躍した飛鳥時代ともいわれ 鎌倉時代以降にいったん曹洞宗の寺院となり また江戸時代中頃には桂宮家の祈祷所であったのを 天明四年(一七八四)に 桃園天皇の中宮 恭礼門院が 桜町・桃園・後桃園三天皇と皇子 貞行親王の菩提を弔うため 慈雲尊者に帰依して真言宗に改め 再興し現在に至っている。
比丘尼御所の一つで 歴代天皇 皇后 皇族の菩提をつとめ また尼僧修養道場とされ 久邇宮朝彦親王の第四王女 飛呂子女王も当寺で六歳から十九歳まで修行された。
本尊の釈迦如来立像は 清凉寺(嵯峨釈迦堂)の奝然が宋から請来した三国伝来釈迦如来像の様式像いわゆる「清凉寺式釈迦如来像」であり もとは宮中の御物であった。
護摩堂に安置されている不動明王像は 伝教大師の作と伝えられている。
庭の「仏足石」は文様陽刻であり 女院御所にあったものを江戸時代の寛政年間に移されたものとされている。
庭には 椿が二十種余り植えられており その中には光格天皇から下賜され緋竜 石橋 小式部など勅名の椿や京都の銘椿が見られる。
京都市
せめてお庭だけでも見たかったです。
京都市右京区にあるお寺です。
入口は二つありました。
北側の入口には看板があり ここが入口だとすぐ分かりました。
しかし細長い道を挟んで両側に門があり どちらも開けられそうですが通ってはいけなさそうな雰囲気がありました。
東側の入口は車の入口だと思うのですが 門にチェーンがかけられていましたので こちらも入れません。
長福寺さんでは 山門にたどり着けませんでした。
遠くから見ると 駒札(由緒書)もありますので 参拝したかったです。
写真を撮って終わりになってしまいました。
ネット情報です。
おそらく駒札に書かれているものだと思います。
山号を密乗山といい 現在は真言宗泉涌寺派に属する。
寺伝によれば 寺の創建は秦氏らが活躍した飛鳥時代ともいわれ 鎌倉時代以降にいったん曹洞宗の寺院となり また江戸時代中頃には桂宮家の祈祷所であったのを 天明四年(一七八四)に 桃園天皇の中宮 恭礼門院が 桜町・桃園・後桃園三天皇と皇子 貞行親王の菩提を弔うため 慈雲尊者に帰依して真言宗に改め 再興し現在に至っている。
比丘尼御所の一つで 歴代天皇 皇后 皇族の菩提をつとめ また尼僧修養道場とされ 久邇宮朝彦親王の第四王女 飛呂子女王も当寺で六歳から十九歳まで修行された。
本尊の釈迦如来立像は 清凉寺(嵯峨釈迦堂)の奝然が宋から請来した三国伝来釈迦如来像の様式像いわゆる「清凉寺式釈迦如来像」であり もとは宮中の御物であった。
護摩堂に安置されている不動明王像は 伝教大師の作と伝えられている。
庭の「仏足石」は文様陽刻であり 女院御所にあったものを江戸時代の寛政年間に移されたものとされている。
庭には 椿が二十種余り植えられており その中には光格天皇から下賜され緋竜 石橋 小式部など勅名の椿や京都の銘椿が見られる。
京都市
せめてお庭だけでも見たかったです。
すてき
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くるくるきよせん3142投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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