だいとくじ
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楽しみ方大徳寺のお参りの記録(5回目)
投稿日:2026年02月06日(金) 19時26分26秒
参拝:2026年2月吉日
「京の冬の旅」の特別公開で参拝しました。
京都市北区にあるお寺です。
創建700年になる臨済宗大徳寺派大本山のお寺です。
2年前には法堂と仏殿が特別公開されていて参拝しました。
今回は法堂と経蔵が公開されています。
東側総門の駐車場に車を停め 義母と妻と一緒に参拝です。
まずは法堂。
こちらは高僧が説法をするための建物です。
高僧の声が聞こえやすくするため 天上がやや湾曲しているとのことで そのために音が響きます。
天井絵は 狩野探幽の筆による「雲龍図」です。
ご存じの方も多いと思いますが こちら「鳴き龍」として有名で 法堂の中で手を叩くと音が反響して残響音が聞こえます。
これが「鳴き龍」といわれる現象です。
ガイドさんの説明を聞いてから「鳴き龍」を楽しみました。
手を少し丸めて空気を包むように叩くとよい音がします。
続いて経蔵です。
こちらは初めて入らせていただきます。
法堂から少し歩くとすぐに経蔵です。
経蔵はお経を保存しておくための建物で 建物の中心にお経を入れるための回転式の書架があり 引き出しがたくさんありました。
約3500ものお経が収められているそうです。
これだけのお経を読もうと思ったら何年かかることでしょうね。
経蔵の西側には官池と呼ばれる池があり石橋がかかっていました。
この日は水がなかったのですが 大徳寺の絶景ポイントの一つだそうです。
法堂から経蔵までの道からは国宝の唐門が見えます。
唐門は通常は見えない場所にあるため この特別公開で見られるということでした。
彫刻や彩色が見事ですので 間近で観られたら嬉しかったです。
御朱印は方丈でいただくことができます。
何度も参拝してきたお寺ですが やはり特別公開はガイドさんの説明があって良いですね。
ネット情報です。
山号は龍寶山
院号は不明
宗旨は臨済宗
宗派は臨済宗大徳寺派
寺格は大本山 京都五山 → 林下
ご本尊は釈迦如来
創建年は正和4年(1315年)もしくは元応元年(1319年)
開山は宗峰妙超
正式名は龍寶山大德禪寺
文化財は方丈・唐門・絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図ほか(国宝)
勅使門・山門・仏殿・法堂・木造大燈国師坐像ほか(重要文化財)
方丈庭園(国史跡・特別名勝)です。
大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は 弘安5年(1282年)に播磨国(現・兵庫県)で赤松氏の家臣・浦上一国と赤松則村(円心)の姉との間に生まれた。
11歳の時 地元の大寺院である圓教寺に入って天台宗を学ぶが 後に禅宗に目覚めて鎌倉の高峰顕日 京都の南浦紹明に参禅。
南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るに従って宗峰も鎌倉入りし 徳治2年(1307年)に師から印可を得た。
その後 数年間京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は 正和4年(1315年)ないし元応元年(1319年)に叔父の赤松則村(円心)の帰依と寄進を受け 洛北紫野の地に小堂・大徳庵を建立した。
これが大徳寺の起源という。
花園上皇は宗峰に帰依し 正中2年(1325年)に大徳寺を祈願所とする院宣を発し 勅願寺とされた。
寺院としての形態が整うのはこの頃からと考えられる。
花園上皇や光厳天皇ら歴代天皇 有力貴族からの寄進を受け 元弘3年(1333年)頃には播磨国 摂津国 紀伊国などの畿内各地に加え 信濃国 下総国 美濃国のなど広範囲にわたって延7,600石の寺領を有していた。
後醍醐天皇も当寺を保護し 建武元年(1334年)には当寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発している。
また 後醍醐天皇の勅願寺とされている。
しかし 建武の新政が瓦解して室町幕府が成立すると 後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ 京都五山から除かれてしまった。
その後の大徳寺は 貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え 室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出している。
享徳2年(1453年)の火災 次いで応仁の乱により仏殿や法堂が消失するなどの被害がでて当初の伽藍を失って衰退したが 一休が堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て復興している。
また 各地の守護大名によって塔頭が建立されたりもしている。
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で織田信長が自害した後の同年10月15日には 羽柴秀吉によって信長の葬儀が当寺で盛大に執り行われている。
翌天正11年(1583年)には秀吉によって信長の菩提寺として塔頭・総見院が創建され これ以後も秀吉や諸大名から篤い帰依を受けた。
また 諸大名による塔頭の建立が相次ぎ当寺は隆盛を極めた。
京都市北区にあるお寺です。
創建700年になる臨済宗大徳寺派大本山のお寺です。
2年前には法堂と仏殿が特別公開されていて参拝しました。
今回は法堂と経蔵が公開されています。
東側総門の駐車場に車を停め 義母と妻と一緒に参拝です。
まずは法堂。
こちらは高僧が説法をするための建物です。
高僧の声が聞こえやすくするため 天上がやや湾曲しているとのことで そのために音が響きます。
天井絵は 狩野探幽の筆による「雲龍図」です。
ご存じの方も多いと思いますが こちら「鳴き龍」として有名で 法堂の中で手を叩くと音が反響して残響音が聞こえます。
これが「鳴き龍」といわれる現象です。
ガイドさんの説明を聞いてから「鳴き龍」を楽しみました。
手を少し丸めて空気を包むように叩くとよい音がします。
続いて経蔵です。
こちらは初めて入らせていただきます。
法堂から少し歩くとすぐに経蔵です。
経蔵はお経を保存しておくための建物で 建物の中心にお経を入れるための回転式の書架があり 引き出しがたくさんありました。
約3500ものお経が収められているそうです。
これだけのお経を読もうと思ったら何年かかることでしょうね。
経蔵の西側には官池と呼ばれる池があり石橋がかかっていました。
この日は水がなかったのですが 大徳寺の絶景ポイントの一つだそうです。
法堂から経蔵までの道からは国宝の唐門が見えます。
唐門は通常は見えない場所にあるため この特別公開で見られるということでした。
彫刻や彩色が見事ですので 間近で観られたら嬉しかったです。
御朱印は方丈でいただくことができます。
何度も参拝してきたお寺ですが やはり特別公開はガイドさんの説明があって良いですね。
ネット情報です。
山号は龍寶山
院号は不明
宗旨は臨済宗
宗派は臨済宗大徳寺派
寺格は大本山 京都五山 → 林下
ご本尊は釈迦如来
創建年は正和4年(1315年)もしくは元応元年(1319年)
開山は宗峰妙超
正式名は龍寶山大德禪寺
文化財は方丈・唐門・絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図ほか(国宝)
勅使門・山門・仏殿・法堂・木造大燈国師坐像ほか(重要文化財)
方丈庭園(国史跡・特別名勝)です。
大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は 弘安5年(1282年)に播磨国(現・兵庫県)で赤松氏の家臣・浦上一国と赤松則村(円心)の姉との間に生まれた。
11歳の時 地元の大寺院である圓教寺に入って天台宗を学ぶが 後に禅宗に目覚めて鎌倉の高峰顕日 京都の南浦紹明に参禅。
南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るに従って宗峰も鎌倉入りし 徳治2年(1307年)に師から印可を得た。
その後 数年間京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は 正和4年(1315年)ないし元応元年(1319年)に叔父の赤松則村(円心)の帰依と寄進を受け 洛北紫野の地に小堂・大徳庵を建立した。
これが大徳寺の起源という。
花園上皇は宗峰に帰依し 正中2年(1325年)に大徳寺を祈願所とする院宣を発し 勅願寺とされた。
寺院としての形態が整うのはこの頃からと考えられる。
花園上皇や光厳天皇ら歴代天皇 有力貴族からの寄進を受け 元弘3年(1333年)頃には播磨国 摂津国 紀伊国などの畿内各地に加え 信濃国 下総国 美濃国のなど広範囲にわたって延7,600石の寺領を有していた。
後醍醐天皇も当寺を保護し 建武元年(1334年)には当寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発している。
また 後醍醐天皇の勅願寺とされている。
しかし 建武の新政が瓦解して室町幕府が成立すると 後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ 京都五山から除かれてしまった。
その後の大徳寺は 貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え 室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出している。
享徳2年(1453年)の火災 次いで応仁の乱により仏殿や法堂が消失するなどの被害がでて当初の伽藍を失って衰退したが 一休が堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て復興している。
また 各地の守護大名によって塔頭が建立されたりもしている。
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で織田信長が自害した後の同年10月15日には 羽柴秀吉によって信長の葬儀が当寺で盛大に執り行われている。
翌天正11年(1583年)には秀吉によって信長の菩提寺として塔頭・総見院が創建され これ以後も秀吉や諸大名から篤い帰依を受けた。
また 諸大名による塔頭の建立が相次ぎ当寺は隆盛を極めた。

東側総門

「京の冬の旅」特別公開の看板

法堂と経蔵が公開されています

法堂

法堂から仏殿を見る

法堂の壁

法堂から寝堂を見る

法堂 東側から

経蔵への道

鐘楼

経蔵 北側から

経蔵 東側から

経蔵西側の官池(かんち) 水はありませんでした

唐門

方丈の門

由緒書

御朱印は方丈でいただきます

方丈
すてき
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くるくるきよせん3171投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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