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金蓮寺のお参りの記録(1回目)
京都府北大路駅

投稿日:2025年04月14日(月) 20時07分03秒
参拝:2025年3月吉日
京都市北区にあるお寺です。
天神川を渡り 今宮神社の方に戻ってきました。
児童公園の隣に幼稚園がありました。
その幼稚園のお隣にこちらの金蓮寺がありました。
山門はなく 石柱の門がありました。
門を入ってすぐが建物のため 入ることは遠慮させていただきました。
京都市の由緒書がなく 境内に入ってお参りすることも叶わず 写真を撮って失礼したのですが。。。
帰宅してネットで調べてびっくりしました。
ウィキペディアに載る 有名なお寺だったのです。
山号は錦綾山(きんりょうざん) 宗旨宗派は時宗(浄土教)四條派 寺格は本寺 ご本尊は木造地蔵菩薩立像 開山は(伝)空海 中興は佐々木道誉です。
ネット情報です。
時宗の僧真観が応長元年(1311年)に 後伏見上皇の女御である広義門院の出産に際して効があり 後の北朝初代光厳天皇が誕生したことから 上皇から中御門京極 現在の下御霊神社の北部にあった祇陀林寺を賜り金蓮寺と改めたことに始まる。
『一遍聖絵』第七によると 祇陀林寺は境内の釈迦堂に一遍が訪れた一遍ゆかりの故地であった。
延文元年(1356年) 足利尊氏の盟友で室町幕府の立役者である佐々木道誉(京極高氏)は 元寇以来の一族の戦死者を弔うため 四条京極の宅地の南隣の私領を金蓮寺に寄進する。
嘉慶2年(1388年) 足利義満により四条京極の染殿院が金蓮寺に寄進され頭塔となる。
(中京区にある染殿院は境外塔頭で 十住心院と呼ばれていました。)
18世紀末から寺域の切り売りがはじまった。
売却地には料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建ち 明治以降には繁華街(新京極)と化してしまい 寺自身も往時のおもかげを失って 寺運が傾いてしまった。
旧地である下京区中之町には 塔頭の染殿院(染殿地蔵院)のみが残り その前に「時宗開祖一遍上人念仏賦算遺跡」の石碑がある。
1928年(昭和3年)現在の京都市北区鷹峯に移転している。
時の権力者が建立したお寺でも その後は時代に翻弄されてしまうものなのですね。
少し悲哀を感じました。
金蓮寺(京都府)
山門はありません
金蓮寺(京都府)
境内にお堂 不明です
金蓮寺(京都府)
外観

すてき

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