だいしょうぐんじんじゃ
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楽しみ方大將軍神社のお参りの記録一覧

最近、生成AIにはまってまして
それによると、ここの神社に行くといい
みたいに答えられたので、来てみた
三年ぶり?
前回は上賀茂神社から歩いた
今回は、自宅からチャリで向かったのですが、地図アプリ無しで、このあたりを曲がるのかな?みたいな感じで迷わずたどり着きました
すげえ、神様に導かれた感じです










京都市北区にある神社です。
神光院と西方寺の中間ぐらいの所にある神社です。
もしかしたら古墳があったのかな?と思う感じで ここだけこんもりと社になっています。
鳥居をくぐると ここだけ別世界のようで 木が多い茂っているので木陰になっていて涼しいです。
町の散策をしていて こういう神社に出会うのとテンションが上がります。
手水舎は (おそらく)井戸と水盤がセットになっていました。
屋根が少し尖った感じの拝殿は 上がることはできないのですが なかなか立派です。
ぐるっと回って 本殿は覆屋の中にありました。
盛砂がしてあって 下を見ていないと蹴ってしまいそうでした。
覆屋の中を覗き見ると 小さいながらに立派な本殿がありました。
小さな狛犬さんがかごの中に入っていました。(かわいらしい)
お供えもされていて 地域の方がしっかりお守りしているのが分かりました。
本殿の東西両サイドには 末社が並んでいます。
西側は五社 愛宕神社・松尾神社・八幡神社・春日神社・山王神社です。
東側は四社 角ノ社神社・稲荷神社・貴船神社・片岡神社です。
まだ先があるのですが こちらでしっかり体を冷やしました。(冷えるまではいかないか)
御祭神に感謝申し上げてあとにしました。
ネット情報です。
磐長姫命(いわながひめのみこと)とその家族神四柱を祀る。
西賀茂地域(今原・鎮守庵・総門・田尻)の産土神(氏神)として崇敬されている。
京都市内に複数の「大将軍神社・大将軍社」が存在することから それらを区別するために西賀茂大将軍神社と呼称することもある。
神社案内板の由緒書きによると 創建は609年(推古17年)とされる。
桓武天皇の平安京造営に際し 王城鎮護のため京都の四方に「大将軍神社」を祀り 当社を北方の守護神としたと伝えられる。
古くは「須美社」「角社」(すみやしろ)とも呼ばれ 方違え 疫除けの神として信仰を集めている。
ただし 「角社」は大将軍神社とは別の神社であったという説や伝承もある。
また 創建当初からこの地域には瓦窯が設けられ 平安時代には官衙(古代の役所)の瓦を焼いていたとされる。
近くにある神光院が慶円に創建される前には 京都御所に奉納する瓦職人の宿に用いられており 「瓦屋寺」と呼ばれていた。
当社はその鎮守の社でもあった。

手水舎 井戸のようです

由緒

拝殿

本殿の覆屋

本殿前の 盛砂

内陣 本殿 狛犬はかごの中

西側の 末社五社

東側の 末社四社

盛砂

西側の鳥居

こちらにも由緒書

#大将軍神社
主祭神はイワナガヒメの命。パンフに、ご祭神が他に4座いるとあるが、イワナガヒメの命の家族だとしか書かれていない。梅宮大社(京都市右京区)のご祭神4座が一番あり得そうに思うが、しょせん僕の想像だ。
#磐長姫命
古事記では石長比売、日本書紀では磐長姫。古事記・日本書紀とも、オオヤマツミの神の娘でサクヤヒメの姉とする。
イワナガヒメの命の境遇は、人々の同情と共感を集めるようだ。いつの時代もそうだと思う。だが現代ならではの世相として、イラストが身近というのがある。イラスト付きで日本神話を紹介する書籍に彼女が出てこようものなら、化粧っ気がないだけで実は美人、的なキャラクターとして描かれるのが常だ。
ところで古事記で、スサノオの命からオオクニヌシの神へ至る系図に、コノハナチルヒメという神名が見える。スサノオの命とクシナダヒメの御子ヤシマジヌミの神と、オオヤマツミの神の御子コノハナチルヒメが結婚し、彼らの子孫がオオクニヌシの神であると。
ウィキペディアに、このコノハナチルヒメはイワナガヒメの命の別名だという説がある、と書いてあった。僕もイワナガヒメの命にたいへん肩入れしている身ではあるが、この説は採れない。単に、まだウィキペディアでしかそういった主張を見ていないからだ。

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