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こうしょうじ

興聖寺のお参りの記録(2回目)
京都府鞍馬口駅

投稿日:2026年02月06日(金) 21時13分00秒
参拝:2026年2月吉日
「京の冬の旅」の特別公開で参拝しました。
京都市上京区にあるお寺です。
以前訪れた時には 山門が閉じられていて境内にも入れませんでした。
義母が参拝できるのは 坂がなくて石段が少なくて駐車場から遠くないお寺だけ。
今回は三拍子揃ったお寺が 「京の冬の旅」の特別拝観でしたのでラッキーでした。
総門をくぐり その先の山門をくぐると 広い境内に入ります。
ここからは初参拝。

正面に本堂があります。
真っすぐ続く道の両側にはモミジが植えられていて 秋には見事な紅葉を楽しむことができます。
数年前までは一般公開されていなかったのですが 紅葉の時期には公開されるようになったと言われました。
一旦右に曲がり 庫裡の前を通って方丈入口へ。
まずは本堂の参拝です。
内陣の写真を撮ることはできず 本堂前から撮らせていただきました。
達磨大師の大きな絵が見えますね。
御本尊はこの絵の裏側にあります。
中央には住職(?)がおられ 本堂の説明をしてくださいました。
ガイドさんだと原稿があってそれを上手にお話してくださいますが こちらのお寺の方ですからお話の深みが違います。
達磨大師の絵は藤堂高虎寄進のものだそうです。
通常は倉庫にしまわれているものを 今回の公開のために本堂に展示されているそうです。
なるほど それで秀長つながりの特別公開なのでしょう。
こちらでは早朝坐禅が行われ 檀家の方のみならず一般の方も参加できるとのことでした。
本堂の壁には坐禅スペースがあり 布団のような座布団が置かれていました。
座布団とおっしゃっていましたが 2つに折られた敷布団の上に座布団がある感じです。
本堂前のモミジについても触れ 紅葉の時期は公開するのでお越しくださいとのことでした。
続いて方丈へ。
方丈前は苔が美しい庭園と枯山水庭園がつながっていました。
びっくりしたのは襖絵です。
ぱっと見ただけで分かります。写真です。
それも海中から水面を撮った写真。
こういうのもありなんですね。
天井絵も美しいです。
檀家の5名の画家が奉納されたようで 四季それぞれを4名の方で 中央の絵を1名の方で分担されているそうです。
檀家さんが天井絵を奉納するなんてとても素敵です。

方丈には古いお経が置かれていました。
古いことは分かりますが 保存状態が悪く 虫食いがたくさんあります。
覗き込んでいたところ 説明がありました。
この経典は平安時代に書写されたものだそうです。
平安時代のお経が今に残っているのか。すごいなぁ。と思ったら話には続きがありました。
経蔵には5294巻もの経典を集成した一切経が保管されているそうです。
約1000年にわたり ほぼ完全な形で収蔵しているそうです。
ところが一切経を納めている経箱は寛永年間(1924~1644年)に明正天皇や公家・僧侶・有力町衆によって寄付されたもので 経年劣化による経蔵の傷みが激しく また経箱の傷みが多くなり 納めている一切経にも悪影響を及ぼすようになりました。
そのためクラウドファンディングで 大切な一切経を守るため まずは経蔵の修繕を行ったそうです。
ところが傷んだ経典の修復はまだ残っています。
もちろん修復のためには費用がかかります。
そのため もともと公開されることがなかったお寺ですが 特別公開することで参拝料や朱印料を経典の修復にあてようと考えられたそうです。
そのお話を伺うと 御朱印も授与品もすべてが経典修復のためと思って購入したくなりますね。
一切経を守るための浄財になるわけですから。
はい。手ぬぐいもいただきました。

その後 茶室での説明もありました。
こちら方丈も茶室も すべて写真撮影がオッケーですのでありがたかったです。
説明をしてくださる方は どうやらガイドではなく檀家の方のようでした。
ご住職のお人柄がそうさせているのでしょうね。素晴らしい。
また秋の特別公開で再訪したいと思いました。

ネット情報です。
山号は円通山(圓通山)
宗旨は臨済宗
宗派は臨済宗興聖寺派
寺格は本山
ご本尊は釈迦如来
創建年は慶長8年(1603年)
開山は虚応円耳
開基は伝・古田織部
別称は織部寺
文化財は紙本墨画「寒山拾得図」・絹本著色「兜率天曼荼羅図」(重要文化財)です。
慶長8年(1603年)に妙満寺・日重上人の弟子である虚応円耳(姓は斎藤)が 法華(日蓮)宗の教えを広めるために東隣の大応寺から移って創建した。
創建時は「興正寺」といった。
現在 茶人・古田織部との関係がいわれているが 織部の妻セン(中川清秀妹)が隠棲した北野天満宮隣りの青霄院がセンの死後移転して同寺の塔頭となり その後 豊後国岡藩の家老・古田家が織部と子らの墓を建てた関係で 昭和になってから「織部寺」と呼ばれるようになった。
これは当時の住職・日種譲山の働きかけによるものである。
織部は大徳寺住持・春屋宗園に参禅しており 日蓮宗の虚応に開基を頼むわけもなく 当寺と織部との関係を示す記録は一切ない。
江戸時代の初期に後陽成上皇及び後水尾天皇の勅願所となった。
元禄14年(1701年)に日蓮宗より禅宗寺院となる。
また 塔頭も数十か寺を数えるほどであったという。
天明8年(1788年)の天明の大火で仏殿(現・本堂)を残して全焼したが その後再興された。
1887年(明治20年)に臨済宗相国寺派に所属を変えるが 1953年(昭和28年)に臨済宗興聖寺派の本山として独立している。
興聖寺(京都府)
立派な総門
興聖寺(京都府)
「京の冬の旅」の看板
興聖寺(京都府)
寺号の石柱
興聖寺(京都府)
由緒書
興聖寺(京都府)
総門から山門まで少し歩きます
興聖寺(京都府)
山門
興聖寺(京都府)
寺号標
興聖寺(京都府)
鐘楼
興聖寺(京都府)
本堂
興聖寺(京都府)
何かの花ですよね
興聖寺(京都府)
庫裡かな
興聖寺(京都府)
本堂
興聖寺(京都府)
禅寺らしい
興聖寺(京都府)
本堂入口
興聖寺(京都府)
本堂外から撮らせていただきました
興聖寺(京都府)
早朝坐禅があるそうです
興聖寺(京都府)
坐禅する場所の窓
興聖寺(京都府)
書院前の庭
興聖寺(京都府)
白い建物は2階が経蔵
興聖寺(京都府)
書院前の庭
興聖寺(京都府)
書院の扁額
興聖寺(京都府)
天井絵 春
興聖寺(京都府)
天井絵 夏
興聖寺(京都府)
天井絵 秋
興聖寺(京都府)
天井絵 冬
興聖寺(京都府)
天井絵の中央
興聖寺(京都府)
襖絵は海中写真
興聖寺(京都府)
こんなんよう撮ったなぁ
興聖寺(京都府)
経蔵に納められていたお経
興聖寺(京都府)
破損してしまった経典を修復するために 公開を始めたそうです
興聖寺(京都府)
整備された経蔵
興聖寺(京都府)
降り蹲踞(つくばい) 蹲踞の正面にはお地蔵様
興聖寺(京都府)
説明
興聖寺(京都府)
らせん状になっています
興聖寺(京都府)
茶室前のお庭
興聖寺(京都府)
井戸もあります
興聖寺(京都府)
茶室から見た方丈
興聖寺(京都府)
茶室入口手前の棚
興聖寺(京都府)
茶室 雲了庵
興聖寺(京都府)
茶室前のお庭
興聖寺(京都府)
茶室の隣部屋の掛け軸
興聖寺(京都府)
違い棚 奥がくっついていないのが特徴

すてき

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