あみだじ
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阿弥陀寺ではいただけません
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阿弥陀寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年06月02日(日)
参拝:2019年6月吉日
6月2日は本能寺の変。信長公の命日です。
そんなわけで織田信長公廟「本廟」阿弥陀寺にて信長公忌法要に参加してきました。
戦火後、もともと織田家と付き合いのあったこの寺の住職が光秀の元を訪れ、ご遺体を全て譲り受けこの寺にて弔いました。
後になって秀吉が自分の建てた総見院(大徳寺)にご遺体を移そうとしましたが、ここは皇室勅願寺。宮様の領地でそのような無礼はならぬと断られ、ここが正式な信長公本廟となりました。
名だたる戦国武将のお墓としてはかなり小ぶりなんですが、戦国時代当時のお寺はあくまでも僧侶の修行場で墓地ではない、と、寺に墓を建てること自体が異例の措置だったのだそうで。
(※京都4大信長公廟のうち、総見院はそのような事情で、当時の本能寺はそもそも焼けてなくなってたし船岡山の建勲神社は明治の創建なので)
観光寺ではありませんが、普段でもお墓詣りは可能です。
そんなわけで織田信長公廟「本廟」阿弥陀寺にて信長公忌法要に参加してきました。
戦火後、もともと織田家と付き合いのあったこの寺の住職が光秀の元を訪れ、ご遺体を全て譲り受けこの寺にて弔いました。
後になって秀吉が自分の建てた総見院(大徳寺)にご遺体を移そうとしましたが、ここは皇室勅願寺。宮様の領地でそのような無礼はならぬと断られ、ここが正式な信長公本廟となりました。
名だたる戦国武将のお墓としてはかなり小ぶりなんですが、戦国時代当時のお寺はあくまでも僧侶の修行場で墓地ではない、と、寺に墓を建てること自体が異例の措置だったのだそうで。
(※京都4大信長公廟のうち、総見院はそのような事情で、当時の本能寺はそもそも焼けてなくなってたし船岡山の建勲神社は明治の創建なので)
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