みどろがいけじぞうどう
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楽しみ方深泥池地蔵堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月28日(日) 22時23分01秒
参拝:2025年8月吉日
京都市北区散策で深泥池町地域を歩きました。
本日のいちばん奥の目的地深泥池貴舩神社から少し戻ってきた感じです。
住宅街の一角がすっきり境内になっています。
お堂が一つあるだけと思ったら 裏にある建物もですね。
お堂の中には立派なお地蔵様がいらっしゃいます。
お地蔵様っていうと 石仏だったり 木仏でも古いイメージなんですが こちらは金ぴかです。
お堂には 安産地蔵尊という札がかけられていました。
今のところ(もう)予定はないのですが 子らの将来のためにしっかりお参りしておきました。
ネット情報です。
深泥池の西 小さな地蔵堂に 深泥池地蔵が安置されている。
姉子(あねご)地蔵とも呼ばれた。
一帯はかつて愛宕郡深泥ガ池村と呼ばれ 鞍馬・貴船に通じた鞍馬街道の道筋に当っていた。
街道に祀られた地蔵尊は 京の「廻り地蔵」の一つに数えられていた。
平安時代 保元年間(1156-1158) 西光(さいこう)法師は 京都の七道の入り口に 7体の地蔵尊を安置し 「廻り地蔵」と呼んだという。
室町時代 鞍馬街道には関所が設けられ 関料を徴収していた。
地蔵尊は深泥池の西辺の地蔵堂に安置され 人々は行路の安全を祈願したとみられる。
江戸時代 六地蔵巡りが盛んになり 地蔵尊はその霊場の一つに数えられた。
1869年 廃仏棄釈(1868)後 深泥池地蔵は賀茂の神領外に追放された。
地蔵尊は上善寺(上京区)に遷され 以後 馬口地蔵と呼ばれた。
かつて地蔵堂に安置されていた深泥池地蔵は、像高8尺(2.42m)あった。平安時代の小野篁(おの の たかむら、802-853)作ともいわれた。
現在 地蔵堂に深泥池地蔵として安置されている地蔵菩薩立像は 1895年 十念寺(五条)の西光組より遷された。
この地蔵尊も小野篁作とされる。
像高6尺3寸(1.9m)。
本日のいちばん奥の目的地深泥池貴舩神社から少し戻ってきた感じです。
住宅街の一角がすっきり境内になっています。
お堂が一つあるだけと思ったら 裏にある建物もですね。
お堂の中には立派なお地蔵様がいらっしゃいます。
お地蔵様っていうと 石仏だったり 木仏でも古いイメージなんですが こちらは金ぴかです。
お堂には 安産地蔵尊という札がかけられていました。
今のところ(もう)予定はないのですが 子らの将来のためにしっかりお参りしておきました。
ネット情報です。
深泥池の西 小さな地蔵堂に 深泥池地蔵が安置されている。
姉子(あねご)地蔵とも呼ばれた。
一帯はかつて愛宕郡深泥ガ池村と呼ばれ 鞍馬・貴船に通じた鞍馬街道の道筋に当っていた。
街道に祀られた地蔵尊は 京の「廻り地蔵」の一つに数えられていた。
平安時代 保元年間(1156-1158) 西光(さいこう)法師は 京都の七道の入り口に 7体の地蔵尊を安置し 「廻り地蔵」と呼んだという。
室町時代 鞍馬街道には関所が設けられ 関料を徴収していた。
地蔵尊は深泥池の西辺の地蔵堂に安置され 人々は行路の安全を祈願したとみられる。
江戸時代 六地蔵巡りが盛んになり 地蔵尊はその霊場の一つに数えられた。
1869年 廃仏棄釈(1868)後 深泥池地蔵は賀茂の神領外に追放された。
地蔵尊は上善寺(上京区)に遷され 以後 馬口地蔵と呼ばれた。
かつて地蔵堂に安置されていた深泥池地蔵は、像高8尺(2.42m)あった。平安時代の小野篁(おの の たかむら、802-853)作ともいわれた。
現在 地蔵堂に深泥池地蔵として安置されている地蔵菩薩立像は 1895年 十念寺(五条)の西光組より遷された。
この地蔵尊も小野篁作とされる。
像高6尺3寸(1.9m)。
すてき
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くるくるきよせん2989投稿
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