ふだらくじ|天台宗|如意山
補陀洛寺のお参りの記録一覧
過去に参拝した時の御朱印です。
インターホンが故障してて、直接住職さま宅にお伺いしていただきました。
突然訪問してしまったのに、快く対応してくださいました。
ウソかホントか小野小町の母が親戚と聞かされていたので,ご縁を感じてお参りしましたw
謎が多い御朱印ですw
右上の香炉?の印の篆文,信阿は平家物語の生成に関わりのある覚明のことなんでしょうか?
補陀洛寺は平家物語の後白河法皇の大原御幸に出てくるので繋がりがあるのかも…?
中央の印,全く読めませんでした…w
仏法僧宝の三宝印だと話は簡単だったんですけど,右の字が廣…!
広で始まる仏語にあたりをつけても分からず…
更に,真ん中の1文字目が辶とか廴のにょうの文字に見えてお手上げですw
左下の印章,小野良実は小野小町の父とされる人ですが,旧園とは…?
小町寺のある静市市原は小野氏の領地だったので…
庭園(と家)があった
荘園の意味
墓があった(ある)
のどれかなんでしょうか…
小町寺のことが手持ちの文献にあまりにも出てないので,ほとんどネットに助けて頂きましたw
感謝🙏
特に勉強になったのは仏教大学大学院紀要の大原御幸の道です
印-信阿(香炉?) 廣延?○○○ 小野良実旧園小町寺
墨-本尊阿弥陀如来 洛北市原小町寺
地下鉄「国際会館駅」よりバス「小町寺前」バス停すぐ。
天台宗寺院。ご本尊は阿弥陀三尊です。
謡曲「通小町」にも出てくる「小野小町終焉の地。「小町寺」の通称で知られています。
小野小町は、平安時代前期を代表する女流歌人。諸説ありますが、小野篁の孫娘などと伝えられており、絶世の美女であったことから日本全国に小町塚などの伝説があるそうです。お寺の話では、小町の会なる親睦活動もあったそうです。
その小町は、晩年年老いて衰えた身をここ市原野へ昔父が住んでいた懐かしさから廃寺となった草庵に住んでいました。
その後、朽木の様に倒れ、病で亡くなったと云われ、風雨に晒され、髑髏には一本のススキが風にさらされたと云われています。
開山は、平安時代中期に清原深養父が建立し、天台の僧侶である延僧が開山とされています。
鞍馬への入口ですが、ここを訪れる観光客は少なく。とても静かな寺院です。
境内は自由にお参りできますが、本堂の拝観は事前に予約が必要です。
地名出てくる「市原野」は、小野氏の領地だったところ。
鞍馬街道沿いの小さな寺院。かつて、大原御幸で後白河法皇など歴代の天皇もここを訪れたと言います。
「鞍馬への観光客は多いが、この辺りを訪れるのは少ない」とは、お寺の方の話。
それでも謡曲師など、歌舞伎や謡曲の演者関係者は訪れることも多いとのこと。
13本の幹からなる「13本檜」
小野皇太后の供養塔
小町の姿見の井。(小町化粧井戸)です。
ある日、小町は井戸の水に映る自分の姿に愕然として、嘆き悲しんだとされる井戸。
水は枯れています。
穴目ススキの碑。
右手の句碑は、小倉百人一首の第9番の句。
「花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに」
小野小町の供養塔です。
鞍馬寺関連の供養塔。
京から北へ鞍馬への道すがらにあたります。
本堂です。1999年に再建されました。
ご本尊の阿弥陀三尊。
左から勢至菩薩、中央が阿弥陀如来、右手が観世音菩薩になっています。
小町の老衰像。鎌倉時代の作。
絶世の美女のイメージからは想像するのは無理。
その背後にある無情の世。
実際に拝見して絶句してしまいました。
謡曲の「通小町」にも「市原野」は出てきており、小町の晩年が語られています。
謡曲本を読ませていただきました。
昨年の1月に大阪で謡曲が公演され、実際に観賞させていただきました。
その写真が残っており、その時の話で盛り上がりました。
「一期一会」とはこういうものなのか?
いただいた御朱印です。
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