御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

だいうんじ|天台證門宗総本山 紫雲山、石座山、岩蔵山

大雲寺(岩倉観音)のお参りの記録一覧
京都府 岩倉駅

ハマの「寺(テラ)」リスト
ハマの「寺(テラ)」リスト
2025年11月02日(日) 18時29分04秒
3896投稿

地下鉄烏丸線「国際会館駅」より「岩倉実相院」バス停下車徒歩2分。
天台宗系寺院。ご本尊は十一面観世音菩薩です。

971年、真覚により創建。「岩倉観音」とも呼ばれています。

今回335年振りに秘仏である十一面観世音菩薩が御開帳されました。
 
ご本尊の十一面観世音菩薩は、奈良時代に行基の作で大和国の十一面観音と同じ一木作で、お顔だちが聖武天皇に模したものとされています。

応仁の乱の際に観音の十一面の部分が焼けてしまいましたが、本体は残ったことから古くから「頭病平癒」にご利益があるとされています。

今回の御開帳は、恐らく最初で最後とのことらしいので必見かと思います。

御開帳期間は、来年の4月までで、事前の予約が必要です。詳しくは大雲寺のHPで。

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

岩倉実相院のバス停から歩いてすぐに幟が見えて来ます。

大雲寺(岩倉観音)(京都府)
大雲寺(岩倉観音)(京都府)
大雲寺(岩倉観音)(京都府)

「仮の」本堂です。

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

山岡鉄舟筆の扁額です。

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

今回の御開帳記念のクリアファイルから。
ご本尊の十一面観世音菩薩は、わかりづらいですが、頭の十一面観音の部分が燃えて炭の状態でした。
顔だちは聖武天皇を模したもので、温和な感じでした。

その他にも、妙見さんなど数多くの宝物も合わせて公開されていました。

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

今回の御開帳記念の御朱印です。

もっと読む
くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年09月15日(月) 21時59分09秒
2984投稿

もとは園城寺(三井寺)の有力な別院です。
京都市左京区にあるお寺です。
石座神社の東隣にありました。
もともと石座神社が大雲寺の境内にあったそうなので すぐお隣ということですね。
残念ながらこちらの大雲寺は一般拝観はなさそうでした。
墓所と大きな建物が一つ。
庫裡とか書院とか本堂とか区別されていないのでしょうね。
失礼な言い方になりますが ユースホステルってこんな感じの建物のこと多いですよね。
門に札がかけられていて 「信濃善光寺如来御分身」 と書かれていました。
善光寺の末寺ということかなぁ 帰ってから調べよ!
門の所で合掌して写真を撮らせていただきました。
調べてみたら情報の多いこと多いこと。驚きでした。
今の建物は仮の本堂だということ。
いろいろお寺の派閥争いがあって 建物が焼失したこと。
大人の事情で多額の借金を抱えてしまったこと。
いやぁお寺って 素人の私が思う以上に煩悩の世界で揉まれているんですね。

ネット情報です。(だいぶ減らします)
山号は紫雲山・石座山・岩蔵山 宗旨は天台證門宗 寺格は総本山 ご本尊は十一面観音 (秘仏) 建年は天禄2年 (971年) 開山は真覚です。
縁起によれば 天禄2年(971年)に比叡山延暦寺で法会があり 多くの公卿らが五色の霊雲の立ち昇るのを見た。
中納言日野文範がこれを見て山を下り 霊雲の谷(岩倉)に至った。
そこで老尼(石座明神)と出逢い その地が観音浄土の地と知り 伽藍建立の適地として喜んだ。
このことが時の天皇の耳に達し 文範が真覚上人を開祖として創建したのに始まると伝えられ 園城寺(三井寺)の有力な別院であった。
文範は紫式部の曽祖父(式部の母の祖父)にあたる人物。
真覚は藤原敦忠の子で 俗名を藤原佐理といい 村上天皇に近侍していたが 天皇没後 比叡山で出家した。
大雲寺の本尊十一面観音は聖武天皇の姿を写した行基作の一木作りで また大和国長谷寺の十一面観音と同じ木で作られたものという内裏に伝来した像を 真覚の祖父にあたる藤原時平が下賜されたものという。
園城寺長吏 法性寺座主を務めた僧余慶(智弁)は観音院僧正とも呼ばれ 大雲寺・観音院との関係が深かった。
天元4年(981年) 余慶は一門の僧数百人を連れて大雲寺へ移ったが これは余慶らの園城寺の寺門派と延暦寺の山門派との対立を背景とするものであった。
この頃の大雲寺・観音院は四十九の堂塔伽藍と千人に及ぶ僧を擁した大寺院であったが その後の寺門・山門の抗争により 門派の別院であった大雲寺はたびたび兵火に見舞われ 焼失を繰り返した。
保延2年(1136年)には当時残っていた伽藍が全焼してしまったことが『中右記』同年3月12日条にみえる。
文明6年(1474年) 洛中の今出川小川(現・上京区実相院町)にあった実相院が 応仁の乱の戦火を逃れるため当寺の塔頭であった成金剛院の跡地である現在地に移転してくるが 以後両者は度々対立している。
紫式部の『源氏物語』(若紫の巻)で 光源氏と紫の上が出会った北山の「なにがし寺」は 大雲寺がモデルともいわれる。

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

略縁起

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

記念碑 字は読めません

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

お地蔵様

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

本堂だと思います

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

信濃善光寺如来御分身 とあります

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

寺号標

大雲寺(岩倉観音)(京都府)

水子地蔵かな?

もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ