だいうんじ|天台證門宗総本山| 紫雲山、石座山、岩蔵山
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楽しみ方大雲寺(岩倉観音)のお参りの記録一覧

京都市内寺院巡りの3ヶ寺目は、左京区岩倉に在る石座山 大雲寺です。実相院の北側直ぐ近く。
天台寺門宗単立(天台証門宗)で、本尊は十一面観音。
この度、335年振りの開帳との事で訪れました。(開帳は2025年10月17日~2026年4月17日までの半年間)
ーーー後日アップします。

御朱印


仮本堂


阿伽井堂双龍大権現

万里小路中納言藤房卿髪塔


白布の前掛けでわからなかったが三面石仏で、中央に阿弥陀如来坐像、脇侍として右に十一面観音立像、左に地蔵立像が彫られている

地下鉄烏丸線「国際会館駅」より「岩倉実相院」バス停下車徒歩2分。
天台宗系寺院。ご本尊は十一面観世音菩薩です。
971年、真覚により創建。「岩倉観音」とも呼ばれています。
今回335年振りに秘仏である十一面観世音菩薩が御開帳されました。
ご本尊の十一面観世音菩薩は、奈良時代に行基の作で大和国の十一面観音と同じ一木作で、お顔だちが聖武天皇に模したものとされています。
応仁の乱の際に観音の十一面の部分が焼けてしまいましたが、本体は残ったことから古くから「頭病平癒」にご利益があるとされています。
今回の御開帳は、恐らく最初で最後とのことらしいので必見かと思います。
御開帳期間は、来年の4月までで、事前の予約が必要です。詳しくは大雲寺のHPで。

岩倉実相院のバス停から歩いてすぐに幟が見えて来ます。



「仮の」本堂です。

山岡鉄舟筆の扁額です。

今回の御開帳記念のクリアファイルから。
ご本尊の十一面観世音菩薩は、わかりづらいですが、頭の十一面観音の部分が燃えて炭の状態でした。
顔だちは聖武天皇を模したもので、温和な感じでした。
その他にも、妙見さんなど数多くの宝物も合わせて公開されていました。

今回の御開帳記念の御朱印です。

もとは園城寺(三井寺)の有力な別院です。
京都市左京区にあるお寺です。
石座神社の東隣にありました。
もともと石座神社が大雲寺の境内にあったそうなので すぐお隣ということですね。
残念ながらこちらの大雲寺は一般拝観はなさそうでした。
墓所と大きな建物が一つ。
庫裡とか書院とか本堂とか区別されていないのでしょうね。
失礼な言い方になりますが ユースホステルってこんな感じの建物のこと多いですよね。
門に札がかけられていて 「信濃善光寺如来御分身」 と書かれていました。
善光寺の末寺ということかなぁ 帰ってから調べよ!
門の所で合掌して写真を撮らせていただきました。
調べてみたら情報の多いこと多いこと。驚きでした。
今の建物は仮の本堂だということ。
いろいろお寺の派閥争いがあって 建物が焼失したこと。
大人の事情で多額の借金を抱えてしまったこと。
いやぁお寺って 素人の私が思う以上に煩悩の世界で揉まれているんですね。
ネット情報です。(だいぶ減らします)
山号は紫雲山・石座山・岩蔵山 宗旨は天台證門宗 寺格は総本山 ご本尊は十一面観音 (秘仏) 建年は天禄2年 (971年) 開山は真覚です。
縁起によれば 天禄2年(971年)に比叡山延暦寺で法会があり 多くの公卿らが五色の霊雲の立ち昇るのを見た。
中納言日野文範がこれを見て山を下り 霊雲の谷(岩倉)に至った。
そこで老尼(石座明神)と出逢い その地が観音浄土の地と知り 伽藍建立の適地として喜んだ。
このことが時の天皇の耳に達し 文範が真覚上人を開祖として創建したのに始まると伝えられ 園城寺(三井寺)の有力な別院であった。
文範は紫式部の曽祖父(式部の母の祖父)にあたる人物。
真覚は藤原敦忠の子で 俗名を藤原佐理といい 村上天皇に近侍していたが 天皇没後 比叡山で出家した。
大雲寺の本尊十一面観音は聖武天皇の姿を写した行基作の一木作りで また大和国長谷寺の十一面観音と同じ木で作られたものという内裏に伝来した像を 真覚の祖父にあたる藤原時平が下賜されたものという。
園城寺長吏 法性寺座主を務めた僧余慶(智弁)は観音院僧正とも呼ばれ 大雲寺・観音院との関係が深かった。
天元4年(981年) 余慶は一門の僧数百人を連れて大雲寺へ移ったが これは余慶らの園城寺の寺門派と延暦寺の山門派との対立を背景とするものであった。
この頃の大雲寺・観音院は四十九の堂塔伽藍と千人に及ぶ僧を擁した大寺院であったが その後の寺門・山門の抗争により 門派の別院であった大雲寺はたびたび兵火に見舞われ 焼失を繰り返した。
保延2年(1136年)には当時残っていた伽藍が全焼してしまったことが『中右記』同年3月12日条にみえる。
文明6年(1474年) 洛中の今出川小川(現・上京区実相院町)にあった実相院が 応仁の乱の戦火を逃れるため当寺の塔頭であった成金剛院の跡地である現在地に移転してくるが 以後両者は度々対立している。
紫式部の『源氏物語』(若紫の巻)で 光源氏と紫の上が出会った北山の「なにがし寺」は 大雲寺がモデルともいわれる。

略縁起

記念碑 字は読めません

お地蔵様

本堂だと思います

信濃善光寺如来御分身 とあります

寺号標

水子地蔵かな?
岩倉実相院。の、おとなり。
旧境内は源氏物語「若紫」に出てくる「なにがし寺」候補地の一つであるらしい。
旧境内は現在、岩倉の病院になっているがすぐそばに移転。現在はあくまでも地域の霊園となっている。

現在の大雲寺。本堂はおうちタイプぽい。

実相院と大雲寺の間に建つ石仏。


大雲寺、旧境内には現在でもお堂と滝がある。

門前の縁起書き。
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