せいわいん
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楽しみ方清和院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月01日(日) 13時49分29秒
参拝:2024年8月吉日
今年の夏は暑すぎますね。本当に酷暑。歩いてお参りするのは 私は2時間が限界です。
それでも1つお参りすると 次は となってしまう自分もいたりして。
この日はあまり時間がなかったのですが 狸谷山不動院にお参りしたあと 上京区にもお参りしました。
こちら清和院さんは 北野天満宮のすぐ近くにあるお寺です。
ぱっと見 普通の町のお寺さんなんですが 石柱に洛陽第33番とありましたので 札所だと思いました。境内に入ると やっぱり御朱印の案内がありました。
奥様が応対くださり 御朱印を拝受できました。
御本尊も拝顔でき この日を気持ちよく終えることができました。
帰りは天満宮近くの和菓子屋さんによって 家にお土産としました。
山号は河崎山 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は地蔵菩薩(清和地蔵尊もしくは玉体地蔵尊、重要文化財) 開基は文徳天皇 中興年は徳治元年(1306年) 中興は照空信日です。
由緒については
もと 藤原良房邸(染殿第)の南に文徳天皇が染殿后の請いにより仏心院を建てて地蔵菩薩を安置したのに始まる。
清和天皇が貞観18年(876年)の譲位後 染殿の南部分を御在所・後院とすると 仏心院は清和井(せかい)院もしくは勢賀院とも呼ばれるようになった。
それ以来 皇子 親王の住院として使用された。
その後に廃れていたところ 徳治元年(1306年)に浄土宗西山義の照空信日によって仏心院は再興され 清和院の号を朝廷より賜った。
万治4年(1661年)に禁裏が火事で焼失した際に共に焼け落ちるが 後水尾上皇によって現在地に移されて真言宗の寺院として再興された。
とありました。
小さいながらに由緒のあるお寺だったんですね。
それでも1つお参りすると 次は となってしまう自分もいたりして。
この日はあまり時間がなかったのですが 狸谷山不動院にお参りしたあと 上京区にもお参りしました。
こちら清和院さんは 北野天満宮のすぐ近くにあるお寺です。
ぱっと見 普通の町のお寺さんなんですが 石柱に洛陽第33番とありましたので 札所だと思いました。境内に入ると やっぱり御朱印の案内がありました。
奥様が応対くださり 御朱印を拝受できました。
御本尊も拝顔でき この日を気持ちよく終えることができました。
帰りは天満宮近くの和菓子屋さんによって 家にお土産としました。
山号は河崎山 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は地蔵菩薩(清和地蔵尊もしくは玉体地蔵尊、重要文化財) 開基は文徳天皇 中興年は徳治元年(1306年) 中興は照空信日です。
由緒については
もと 藤原良房邸(染殿第)の南に文徳天皇が染殿后の請いにより仏心院を建てて地蔵菩薩を安置したのに始まる。
清和天皇が貞観18年(876年)の譲位後 染殿の南部分を御在所・後院とすると 仏心院は清和井(せかい)院もしくは勢賀院とも呼ばれるようになった。
それ以来 皇子 親王の住院として使用された。
その後に廃れていたところ 徳治元年(1306年)に浄土宗西山義の照空信日によって仏心院は再興され 清和院の号を朝廷より賜った。
万治4年(1661年)に禁裏が火事で焼失した際に共に焼け落ちるが 後水尾上皇によって現在地に移されて真言宗の寺院として再興された。
とありました。
小さいながらに由緒のあるお寺だったんですね。
すてき
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くるくるきよせん3010投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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