じょうぼんれいだいじ|真言宗智山派|蓮華金宝山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方上品蓮台寺のお参りの記録一覧
絞り込み


上京区散策から北区に移動してきました。
こちら上品蓮台寺は京都市北区にあるお寺です。
以前お参りしたことがありますが その時は拝観をされていなかったので 今回はどうかな?と思って再訪しました。
今回訪れて気づいたのですが 山門に寺号標とは別に 何か札のようなものが重ねて貼り付けられていました。
令和七年蓮華金寶山上品蓮臺寺 奉修大般若経六百巻寺門繁栄祈攸 とありました。
関係者なら分かるものでしょうが 私には分かりません。
玄関に行きますと またしても「拝観はしておりません」でした。残念。
せっかくですから境内をぐるっと観て回りました。
本堂前で合掌。
境内には境内社の鳥居と思われるものがありましたが その先に本殿は見当たりませんでした。
ネット情報です。
山号は蓮華金寶山 院号は九品三昧院 宗旨宗派は新義真言宗智山派 ご本尊は地蔵菩薩 創建年は(伝)飛鳥時代(文献上は10世紀半ば) 開基は(伝)聖徳太子(実質的開基は寛空)です。
寺伝によれば 聖徳太子が母の菩提寺として建立し 宇多法皇が中興したという。
天徳4年(960年)9月9日付の蓮台寺供養願文(『本朝文集』所収)に 東寺長者寛空が北山に一堂を建立し 亡き父母の供養をしたとあり 『日本紀略』同日条にも同様の記載があるが これが上品蓮台寺の実質的な創建を伝えるものと推測される。
当寺は一名香隆寺とも呼ばれたが これは寛空が隣接する香隆寺(後に上品蓮台寺に合併)を兼帯していたためである。
寛空は宇多法皇の弟子にあたり 大覚寺で法皇から灌頂を受けている。
宇多法皇の孫(敦実親王の子)にあたる寛朝僧正も当寺の住持になっている。
嵯峨清凉寺の本尊で 「三国伝来の霊像」として広く信仰を集めてきた釈迦如来像は 一時期 上品蓮台寺に安置されていた。
『扶桑略記』によれば 寛和3年(永延元年・987年)に奝然が同釈迦像を宋から日本へ請来した際 一時この寺に安置し 後に清涼寺に移したという。
寺は応仁の乱で焼けたが 文禄年間(1592 – 1596年) 豊臣秀吉の援助のもと 紀州根来寺の性盛によって復興された。

京都市北区にあるお寺です。
御朱印の多さで有名な建勲神社のある船岡山公園のすぐ西にあります。
境内も広く 山門を含めて門が3つありました。
1つだけ閉じられていましたが 2つは開いていて中に入れました。
鐘楼・本殿・寶泉院・大師堂 どれも立派な建物でした。
これだけ立派なお寺で京都市の由緒書もあるので 拝観できるかな?と思ったのですが 拝観はしておりません でした。残念。
号は蓮華金寶山 院号は九品三昧院 宗旨宗派は新義真言宗智山派 ご本尊は地蔵菩薩 創建年は(伝)飛鳥時代(文献上は10世紀半ば) 開基は(伝)聖徳太子(実質的開基は寛空)です。
ネット情報です。
寺伝によれば 聖徳太子が母の菩提寺として建立し 宇多法皇が中興したという。
天徳4年(960年)9月9日付の蓮台寺供養願文(『本朝文集』所収)に 東寺長者寛空が北山に一堂を建立し 亡き父母の供養をしたとあり 『日本紀略』同日条にも同様の記載があるが これが上品蓮台寺の実質的な創建を伝えるものと推測される。
当寺は一名香隆寺とも呼ばれたが これは寛空が隣接する香隆寺(後に上品蓮台寺に合併)を兼帯していたためである。
寛空は宇多法皇の弟子にあたり 大覚寺で法皇から灌頂を受けている。
宇多法皇の孫(敦実親王の子)にあたる寛朝僧正も当寺の住持になっている。
嵯峨清凉寺の本尊で 「三国伝来の霊像」として広く信仰を集めてきた釈迦如来像は 一時期 上品蓮台寺に安置されていた。
『扶桑略記』によれば 寛和3年(永延元年・987年)に奝然が同釈迦像を宋から日本へ請来した際 一時この寺に安置し 後に清涼寺に移したという。
寺は応仁の乱で焼けたが 文禄年間(1592 – 1596年) 豊臣秀吉の援助のもと 紀州根来寺の性盛によって復興された。


きれいな紅葉をお見かけし地蔵参りを兼ねてお参り。拝観はしておりませんとあったので御朱印を拝受に。奥様がご対応いただきお話。四十八願のお話をお伺いすると、延命地蔵尊は天心同体地蔵で秘仏とのこと。御前立の地蔵様がおられますが一般参拝はしておらず、大晦日と三ヶ日のみ本堂を開けているとのことでした。また、逆川(さかさがわ)地蔵もこちらで安置されているとのことで地蔵尊18番の逆川(歯痛)地蔵の御朱印も以前はされていたとのことでした。現在歯痛地蔵として祀られているのはどうやら代わりのもののようです。どおりで地域の祠の地蔵さんが霊場地蔵なんだろう?という疑問が一つ解消されました😊逆川地蔵の御朱印いただけるなら三ヶ日にお参りするのも検討せねば🙄
もっと読む

初代創建者は聖徳太子。
その後荒廃と復興を繰り返し、戦国末期に再建される。
この一体は土葬時代の京都3大土葬場・「鳥辺野」「化野」「蓮台野」のうちの1つ「蓮台野」であり、数多くの戦国武将らの菩提を弔う大徳寺を擁する。
(※鳥辺野は清水寺のある東山一帯で、坂本龍馬ら維新志士たちが。
化野は、かつて西院にあった西院の河原(さいのかわら)の移設地であり、子供たちの霊を弔う場である)
その歴史から数多くの国宝・文化財を保有しているが、ここは蓮台野。特に慰霊の意味が大きく見世物にするのは不適切である旨により拝観は不可である。
ただし境内は小さいながらも自由散策できる。美しい枝垂れ桜が咲く寺としても知られている。
京都府のおすすめ🎍
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
































