しんにょうじ
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楽しみ方真如寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年03月05日(水) 20時26分03秒
参拝:2025年2月吉日
京都市北区にあるお寺です。
境内が広く 建物も立派なのですが ある所から先へは進めず 本堂などに入ってのお参りはできませんでした。
見た目にも立派ですので 由緒のあるお寺だと思い 帰宅してから調べました。
はい その通りでした。
山号は萬年山 宗旨宗派は臨済宗相国寺派 寺格は相国寺山外塔頭・十刹 ご本尊は宝冠釈迦如来 創建年は暦応5年(1342年) 開山は無学祖元(勧請開山) 開基は無外如大尼(勧請開基) 中興は後水尾上皇です。
相国寺の山外塔頭だと 鹿苑寺と慈照寺がとても有名ですが 2院とともに相国寺の3つの山外塔頭を構成しており 五山十刹の十刹にも数えられていた。
3番目ですか 観光寺院であってもおかしくないですね。
ネット情報です。不勉強な私にはよく分からないお名前がずらり。
無学祖元(仏光国師)歿後の弘安9年(1286年) 無学の弟子で京都尼五山筆頭の景愛寺住職であった無外如大尼が 無学の遺爪髪を祀るための塔所として「正脈庵」(しょうみゃくあん)を建立した。
これが当寺のそもそもの始まりである。
無外如大尼没後も住持が置かれ 同じく無学の弟子である高峰顕日(佛国国師)などが施主となり同庵は代々維持された。
高峰顕日の弟子で 無学祖元の法孫である夢窓疎石(夢窓国師)が 暦応5年(1342年)4月15日に足利尊氏の執事高師直と尊氏の弟足利直義の外護を受け 正脈庵を東側に移して寺院として整備し この際に無学祖元初住の現・中華人民共和国浙江省台州にあった真如寺(廃寺)に倣い 寺号を真如寺として本格的な寺院となった。
境内が広く 建物も立派なのですが ある所から先へは進めず 本堂などに入ってのお参りはできませんでした。
見た目にも立派ですので 由緒のあるお寺だと思い 帰宅してから調べました。
はい その通りでした。
山号は萬年山 宗旨宗派は臨済宗相国寺派 寺格は相国寺山外塔頭・十刹 ご本尊は宝冠釈迦如来 創建年は暦応5年(1342年) 開山は無学祖元(勧請開山) 開基は無外如大尼(勧請開基) 中興は後水尾上皇です。
相国寺の山外塔頭だと 鹿苑寺と慈照寺がとても有名ですが 2院とともに相国寺の3つの山外塔頭を構成しており 五山十刹の十刹にも数えられていた。
3番目ですか 観光寺院であってもおかしくないですね。
ネット情報です。不勉強な私にはよく分からないお名前がずらり。
無学祖元(仏光国師)歿後の弘安9年(1286年) 無学の弟子で京都尼五山筆頭の景愛寺住職であった無外如大尼が 無学の遺爪髪を祀るための塔所として「正脈庵」(しょうみゃくあん)を建立した。
これが当寺のそもそもの始まりである。
無外如大尼没後も住持が置かれ 同じく無学の弟子である高峰顕日(佛国国師)などが施主となり同庵は代々維持された。
高峰顕日の弟子で 無学祖元の法孫である夢窓疎石(夢窓国師)が 暦応5年(1342年)4月15日に足利尊氏の執事高師直と尊氏の弟足利直義の外護を受け 正脈庵を東側に移して寺院として整備し この際に無学祖元初住の現・中華人民共和国浙江省台州にあった真如寺(廃寺)に倣い 寺号を真如寺として本格的な寺院となった。
すてき
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くるくるきよせん3010投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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