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後白河院御聖蹟 法住寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月28日(木)
参拝:2021年10月吉日
天台宗 法住寺
永祚元年(989年)、右大臣 藤原為光公による建立。
寛和元年(985年)に、為光公の夫人と息女忯子が亡くなられたため、その菩提を弔うために建てられたそうです。
当時はかなり広大な敷地だったそうですが、長元5年(1032年)に九条邸の火災が燃え広がり焼失してしまったとのこと。
その後、第七十七代後白河天皇は保元3年(1158年)に退位して上皇となり、応保元年(1161年)にこの地に御所を造営して院政を行ないました。
後白河天皇は、日吉社(滋賀県)、熊野本宮(和歌山県)をとても尊崇されていたそうで、それそれ法住寺内に勧請されて新日吉社と新熊野社を鎮守として建立されたそうです。
また平清盛公に命じて法住寺殿域内に蓮華王院(三十三間堂)を造営させたとのこと。
時代は過ぎて元禄年間には、赤穂浪士の大石内蔵助が法住寺の身代り不動尊に詣でて大願成就を祈誓されたと伝わっており、その縁で四十七士木像が祀られているそうです。
事前に予約をすれば、写経や写仏、座禅止観、さらに精進料理をいただくこともできます。
お堂に上がらせていただき、直接お参りさせていただきました。
またお堂内にて御朱印をいただくことができます。
永祚元年(989年)、右大臣 藤原為光公による建立。
寛和元年(985年)に、為光公の夫人と息女忯子が亡くなられたため、その菩提を弔うために建てられたそうです。
当時はかなり広大な敷地だったそうですが、長元5年(1032年)に九条邸の火災が燃え広がり焼失してしまったとのこと。
その後、第七十七代後白河天皇は保元3年(1158年)に退位して上皇となり、応保元年(1161年)にこの地に御所を造営して院政を行ないました。
後白河天皇は、日吉社(滋賀県)、熊野本宮(和歌山県)をとても尊崇されていたそうで、それそれ法住寺内に勧請されて新日吉社と新熊野社を鎮守として建立されたそうです。
また平清盛公に命じて法住寺殿域内に蓮華王院(三十三間堂)を造営させたとのこと。
時代は過ぎて元禄年間には、赤穂浪士の大石内蔵助が法住寺の身代り不動尊に詣でて大願成就を祈誓されたと伝わっており、その縁で四十七士木像が祀られているそうです。
事前に予約をすれば、写経や写仏、座禅止観、さらに精進料理をいただくこともできます。
お堂に上がらせていただき、直接お参りさせていただきました。
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