れいうんいん|臨済宗東福寺派大本山東福寺塔頭
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臨済宗の総本山である東福寺の塔頭寺院です。
1390年の創建。熊本藩主細川忠利との親交があり、霊雲院に移られる際に庭上の貴石を賜る寺宝である「遺愛石」の庭が有名です。
期間限定公開の多い塔頭寺院中で、不確定要素が多いので事前にHPなどで確認すると良いかと思います。








江戸中期に作庭された方丈前の「九山八海の庭」です。
昭和45年に重森三玲によって復元されました。


須弥壇と石船を据えた細川家が寄贈した「遺愛石」です。


東側の茶室は、幕末西郷隆盛と勤王僧である月照が維新に向けた密議が行われました。

東側の「臥雲の庭」。こちらも重森三玲の作です。

京都市東山区にある東福寺の塔頭の1つです。
以前お参りした際には 拝観の看板が出ていたのですが 時刻が遅かったからかもしれないのですが拝観できませんでした。
今日はしっかり早い時刻に 秋季特別拝観を期待してお参りしました。
いやいやなんと 通常公開寺院でした。前回は私がタイミング悪かっただけでした。失礼しました。
途中 臥雲橋からの紅葉がとてもきれいでした。
先週も良かったのですが さらに赤が強く出ていてきれいでした。
ネット情報です。
霊雲院は 明徳一年(1390)に岐陽方秀(きようほうしゅう)が建立した不二庵にはじまる。
寛永年間(1624 〜 1644)に不二庵の住持となった第七世 湘雪守沅(しょうせつしゅげん)は肥後熊本の出身であり 藩主 細川忠利・光尚親子の帰依を受けて繁栄した。
境内には豊臣秀吉が主催した北野茶会で使用された二階建ての茶室 観月亭が移築されている(非公開)。
また霊雲院は 幕末に西郷隆盛と攘夷派の僧 月照が密議を交わしたという逸話も残るほか 日露戦争でロシア人捕虜の収容所にもなったという歴史がある。
書院前庭は「九山八海の庭」または「霊の庭」と呼ばれる枯山水。

東福寺近くの紅葉


臥雲橋からの紅葉

山門

寺標

境内の様子


九山八海の庭

遺愛石を中央に据えて須弥山に見立て 白砂で九山八海を表現している


臥雲の庭 白砂 滝組 赤砂を組み合わせて雲や水の流れの美しさを現している


中庭


霊雲院にてご本尊の御朱印と書置きの御朱印「九山八海」をいただきました。
霊雲院は不定期で開いているかわからなかったのですが
私が参拝した日は開いていました。
霊雲院は1390年に岐陽方秀が開基とされています。
ご本尊は文殊菩薩です。
日露戦争時にはロシア人の捕虜収容所の役割をはたしていました。
九山八海の庭は遺愛石がある庭です。
臥雲の庭は雲が白砂の砂紋と赤の砂紋が見事ですね。
雲が流れるようです。
堂内には幕末に西郷隆盛と月照和尚が密談をしたといわれています。
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ご本尊の文殊菩薩の御朱印

書置きの御朱印「九山八海」

由緒書

山門

庫裏

九山八海の庭

臥雲の庭

西郷隆盛と月照和尚が密談をした間を再現

書院から庭園を望む
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