たいこうあん|臨済宗東福寺派大本山東福寺塔頭
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楽しみ方退耕庵のお参りの記録一覧

関西小旅行2日目。前日京都へ夜行バス入り。宿泊は値段の都合上、大阪市内京阪線のホテルでしたが、2日目も京都。
東福寺、泉涌寺エリアで特別拝観が開催されている寺社が多く1社目東福寺へ。
東福寺は8年前の春以来2回目です。
おそらく8年前も通ったのでしょうが素通りしたこちら退耕庵。山門開いていたので中に入りましたが拝観お断りと看板があり参拝のみ。
御朱印の投稿までありましたがある気配すら無しです。




御朱印ありますの表示につられたお詣り。山門右手には地蔵堂に大きな地蔵様🤗洛陽四十八願地蔵菩薩第42番玉章(たまずさ)地蔵。小野小町に宛てられた恋文が納められているとか。本堂は拝観不可のため御朱印だけいただきに。お願いすると帳面にお書きしましょうか?とのことでしたが帳面持ってきてない😱😭😭ので書置きでお願いすると新しく書いていただけたようでなんか逆に申し訳ない😅石田三成と安国寺恵瓊、宇喜多秀家が謀議を行った「昨夢軒」があるのでいつか見られる日が来るのでしょうか・・・

山門

經王地蔵とあります

寺号標

御朱印あり😊

山内

玉章地蔵堂

小野小町百歳井戸

客殿

京都市東山区にある東福寺の塔頭の1つです。
東福寺北総門のすぐそばにあります。
よく見かける京都市の由緒書の看板があり 山門も開いていたので期待しました。
境内に入ったところ 「拝観は致しておりません」 の看板が。。。がっくり。
御朱印はあるとのことでしたが 書置きはもうすでになくなっていました。。。がっくり。
境内に入れただけで良しとしました。
ネット情報です
貞和2年(1346年)に東福寺第43世・性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建された。
応仁の乱により一時荒廃したが 慶長年間(1596年 - 1615年)に安国寺恵瓊によって再興された。
幕末の鳥羽・伏見の戦いの際 東福寺に長州藩の陣が置かれた縁で 退耕庵は鳥羽・伏見の戦いの戦死者の菩提寺となっている。
地蔵堂には 玉章(たまずさ)地蔵と称される地蔵菩薩坐像のほか 小野小町100歳像などを安置する。
玉章地蔵は京都市東山区の渋谷(しぶたに)越えにあった小町寺から明治7年(1874年)に移されたもので 小野小町宛ての恋文を納めると伝える。
昨夢軒は 四畳半台目の茶室で 豊臣秀吉の死後 石田三成と宇喜多秀家が関ヶ原の戦いの謀議を行った場所とされている。
護衛の武士が控えていたとされる伏侍(ふせざむらい)の間がある。

山門は開いていました

由緒書

戊辰の役石柱殉難士菩提所の石柱


境内の様子

京阪線「東福寺駅」下車徒歩3分。
洛陽四十八願所第42番札所の臨済宗寺院。ご本尊は千手観音です。
東福寺にある塔頭寺院の中で一番手前にあります。
創建は1346年、東福寺の第四十三世性海霊見により創建、応仁の乱で荒廃しましたが、江戸時代に再建されました。
また、小野小町ゆかりの寺院で、小町堂と呼ばれる地蔵堂の玉章地蔵尊には小町宛の恋文を納められているとされています。
そして、小野小町は
「おもかげの かはらでとしの つもれかし たとえこの身に 限りあるとも」
と詠んでいますが、小町が詠んだものと云われ、たとえ死んでも容貌の衰えは避けたい
といった内容で、最後まで絶世の美女でありたいという願望もあったと思われます。
以前は特別公開もされていましたが、現在は非公開です。








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