じしょうじ(じしょうぜんじ・ぎんかくじ)
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楽しみ方慈照寺(慈照禅寺・銀閣寺)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年02月03日(火) 02時51分25秒
参拝:2026年2月吉日
【東山(とうざん)慈照寺(じしょうじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:臨済宗相国寺派
開基:足利義政
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第22番~
東山慈照寺は、京都市左京区に位置します。銀閣寺として有名。銀閣寺は、足利8代将軍義政の山荘としてつくられましたが、義政の死後、遺言により慈照寺という禅宗の寺になっています。しかし、いつの間にか、金閣寺に対応して銀閣寺と呼ばれるようになりました。
義政がこの東山山麓に山荘の造営を始めたのは、1482(文明14)年、47歳のとき。ここはもともと、10年以上におよんだ応仁の乱で荒れ果ててしまった浄土寺という寺があり、墓地もあったところ。それらをすべてこわして義政は造成にとりかかり、とりあえず最小限度の生活ができるようになると、すぐさまひとり、そこへ移り住みます。不仲だった妻富子(とみこ)のもとから一刻も早く離れたかったともいわれています。それから7年、義政は息をひきとるまでまでこの地で造園に明け暮れます。一棟ずつ丹念に建物をつくっていったといいます。会所、泉殿、西指庵(せいしあん)船舎など次々建立していきましたが、現在まで残っているのは、観音像を安置する観音殿(銀閣)と方丈の隣の東求堂(とうぐどう)だけとなっています。
~『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』五木寛之(講談社、2003)~
本尊:釈迦如来
宗派:臨済宗相国寺派
開基:足利義政
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第22番~
東山慈照寺は、京都市左京区に位置します。銀閣寺として有名。銀閣寺は、足利8代将軍義政の山荘としてつくられましたが、義政の死後、遺言により慈照寺という禅宗の寺になっています。しかし、いつの間にか、金閣寺に対応して銀閣寺と呼ばれるようになりました。
義政がこの東山山麓に山荘の造営を始めたのは、1482(文明14)年、47歳のとき。ここはもともと、10年以上におよんだ応仁の乱で荒れ果ててしまった浄土寺という寺があり、墓地もあったところ。それらをすべてこわして義政は造成にとりかかり、とりあえず最小限度の生活ができるようになると、すぐさまひとり、そこへ移り住みます。不仲だった妻富子(とみこ)のもとから一刻も早く離れたかったともいわれています。それから7年、義政は息をひきとるまでまでこの地で造園に明け暮れます。一棟ずつ丹念に建物をつくっていったといいます。会所、泉殿、西指庵(せいしあん)船舎など次々建立していきましたが、現在まで残っているのは、観音像を安置する観音殿(銀閣)と方丈の隣の東求堂(とうぐどう)だけとなっています。
~『百寺巡礼 第三巻 京都Ⅰ』五木寛之(講談社、2003)~

【銀閣】
国宝。
国宝。

【銀閣寺橋】

【境内図】

【世界遺産「古都京都の文化財」】

【総門】

【銀閣寺垣】
~総門を抜けると、突然、背の高い生垣が視界をさえぎった。石垣の上に竹垣が積みあがり、その竹垣の上にあざやかに刈り込まれた緑の生垣がつながっている。高さ五メートルはあろうか。この簡素な竹垣の部分が有名な「銀閣寺垣」だろう。銀閣寺の境内でもあちこちに見られる造作だ。~
~総門を抜けると、突然、背の高い生垣が視界をさえぎった。石垣の上に竹垣が積みあがり、その竹垣の上にあざやかに刈り込まれた緑の生垣がつながっている。高さ五メートルはあろうか。この簡素な竹垣の部分が有名な「銀閣寺垣」だろう。銀閣寺の境内でもあちこちに見られる造作だ。~

【銀閣】


【向月台】


【花頭窓から見る銀沙灘(ぎんしゃだん)】


【洗月泉】


【東求堂】
国宝。「同仁斎(どうじんさい)」という四畳半の部屋があります。
~義政は晩年をこの小さな部屋で、ひとり瞑想にふけりながらすごしたという。茶会で利用される四畳半の小間は、ここから始まったらしい。~
国宝。「同仁斎(どうじんさい)」という四畳半の部屋があります。
~義政は晩年をこの小さな部屋で、ひとり瞑想にふけりながらすごしたという。茶会で利用される四畳半の小間は、ここから始まったらしい。~


【お茶の井】









【鳳凰】

【御朱印】
すてき
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