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2026年05月28日(木) 09時20分 bysoo_cyan

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ふりがな
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あんようじ
通称
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蹴上安養寺
ご由緒
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青龍山と号す。浄土宗西山派粟生光明寺に属す。門(南面)本堂(東面)本尊阿
弥陀仏ノ像を安す(座像四尺)。恵心(源信)の作なりと。傍に慈覚ノ像を置く」『京都坊目誌』
安養寺ははじめ慈覚(円仁)が一切経を納めて一切経谷に草創した天台宗の寺院である。旧地の一切経谷は、現在地神明山(大日山)の東南に当たる(現山科区日ノ岡〈旧日ノ岡村〉一切経谷町。
。『平家物語』に、天台座主明雲もしばらくこの谷にいたことが見える。応仁元年(1467)八月の東岩倉合戦に際し、大内氏が一切経谷に陣し、ために寺院は兵火で焼亡した。延徳年中(1489~92)、比丘尼智照が現在地に移転し、草庵を結び居住した。天正年間(1573~92)、僧道観(永養と号す)がここに住し、浄土宗に改宗して寛永十九年(1642)に寂した。二世僧一忠が堂宇を建立し、清浄華院(現上京区北之辺町―引用者)に請うて寺号を安養寺と名づけた。
享保八年(1723)青蓮院門主に専属し、維新後粟生光明寺に転属した。
見所
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村上春樹氏ゆかりの寺
創始者/開山・開基
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慈覚大師円仁
中興の祖
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道灌
Restored time
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天正年間(1573-1592)
社格