御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方編集詳細
2022年11月17日(木) 15時41分 byさくら
編集前
35.02033837571439
編集後
35.02030762343811
編集前
135.78681591639406
編集後
135.78679982314
編集前
竜光院
編集後
龍光院
編集後
りょうこういん
編集前
京都市左京区黒谷町
編集後
京都市左京区黒谷町33
編集後
龍光院はかつて僧侶であった滝川雄利により建立された。滝川雄利の息女はたいへん器量が良く、北政所にも気に入られていた。北政所は秀吉が朝鮮に遠征した際、捕虜として連れてこられた李氏朝鮮の男性を、雄利の息女の召使いにと遣わした。ところが、息女は17歳の若さで亡くなってしまった。そこで雄利は息女の死を悼み、金戒光明寺に塔頭を建立した。そして息女の戒名の「龍光院」から名を取り、塔頭の名を龍光院とし、菩提を弔うことにした。息女の召使いは、息女が亡くなったのち出家し、宗厳と名のった。彼は長い修行の後、再び黒谷の地に戻ってきて、龍光院墓地の息女の墓の前で、念仏をひたすら唱えていた。宗厳はのち西雲院を建立し、念仏三昧の生活を送ることになった。その後、明治時代になり、廃仏毀釈などの影響もあり、一時住職がいないという時代もあった。現在の伽藍は隣地にあった別の塔頭を合わせたものである。本堂は建立当時のものと言われている。なお当寺院は金戒光明寺内の塔頭で、唯一寺院内の墓地を持つ。秋は紅葉が美しい。
編集後
阿弥陀如来
編集後
市バス 岡崎道下車 徒歩15 市バス 東天王町下車 徒歩20分
編集後
非公開
編集後
くろ谷の有料駐車場
編集後
創建年 慶長10年(1605年)
編集後
開基 滝川雄利(建立)
