じょうとくじ
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楽しみ方上徳寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2025年11月14日(金) 19時30分13秒
参拝:2025年10月吉日
京都市下京区にあるお寺です。
以前 特別拝観があった際にお参りさせていただきました。
近くを通ったので再訪しました。
特別拝観の日ではないので 当然ですが 本堂は拝観できませんでした。
寺号標にも書かれていますが 子授け・安産の寺として有名で 境内にある世継地蔵大菩薩で 祈願すると良い世継が授かると伝わり 子授け・安産・息災祈願の人がお参りされます。
寺務所には人がおられて 授与品も並んでいましたが そちらには参拝者はおらず 客殿の前には外国の方が座って談笑されていました。
うーん。なんだかなぁ。
外国の方からすれば 観光スポットの一つにすぎないのかなぁ。
私が外国の寺院にお参りした時には ちゃんと礼儀を守ってお参りしたのですが。。。
ネット情報です。
山号は塩竈山 宗旨は浄土宗 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は慶長8年(1603年) 開山は伝誉一阿 開基は阿茶局 別称は世継地蔵です。
慶長8年(1603年)に徳川家康の側室阿茶局が 家康の娘・泰誉院とその母・上徳院の菩提を弔うために 阿茶局の叔父である伝誉一阿を開山として建立したとされる。
本尊は 家康が近江国矢橋の鞭崎八幡宮から移させたと伝えられる阿弥陀如来像で 快慶の作という。
平安時代この地には 陸奥国の塩竈の風景を模した庭園で有名な源融の邸宅・河原院があった。
江戸時代の『都名所図会』によれば 境内には「塩竈明神」があったとされるが現存しない。
天明8年(1788年)1月30日の天明の大火で全焼するが 再建されている。
次いで元治元年(1864年)7月19日の禁門の変後の大火・どんどん焼けでも全焼するが 新たな本堂として明治時代に永観堂の祖師堂を移築し 再興された。
以前 特別拝観があった際にお参りさせていただきました。
近くを通ったので再訪しました。
特別拝観の日ではないので 当然ですが 本堂は拝観できませんでした。
寺号標にも書かれていますが 子授け・安産の寺として有名で 境内にある世継地蔵大菩薩で 祈願すると良い世継が授かると伝わり 子授け・安産・息災祈願の人がお参りされます。
寺務所には人がおられて 授与品も並んでいましたが そちらには参拝者はおらず 客殿の前には外国の方が座って談笑されていました。
うーん。なんだかなぁ。
外国の方からすれば 観光スポットの一つにすぎないのかなぁ。
私が外国の寺院にお参りした時には ちゃんと礼儀を守ってお参りしたのですが。。。
ネット情報です。
山号は塩竈山 宗旨は浄土宗 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は慶長8年(1603年) 開山は伝誉一阿 開基は阿茶局 別称は世継地蔵です。
慶長8年(1603年)に徳川家康の側室阿茶局が 家康の娘・泰誉院とその母・上徳院の菩提を弔うために 阿茶局の叔父である伝誉一阿を開山として建立したとされる。
本尊は 家康が近江国矢橋の鞭崎八幡宮から移させたと伝えられる阿弥陀如来像で 快慶の作という。
平安時代この地には 陸奥国の塩竈の風景を模した庭園で有名な源融の邸宅・河原院があった。
江戸時代の『都名所図会』によれば 境内には「塩竈明神」があったとされるが現存しない。
天明8年(1788年)1月30日の天明の大火で全焼するが 再建されている。
次いで元治元年(1864年)7月19日の禁門の変後の大火・どんどん焼けでも全焼するが 新たな本堂として明治時代に永観堂の祖師堂を移築し 再興された。

山門は開いていました


京都市の由緒書(駒札)

子授け安産の寺

寺号標

手水舎

本堂

本堂の扁額

世継地蔵

内陣

身代り地蔵

七福神

歓喜地蔵

ねがいの塔

説明

延命地蔵

もう一つ延命地蔵

雲版

思いをこらして 雲版を3打して 一心に願い事を念じてお詣りする

お地蔵様

はがため地蔵
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん2992投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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