御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

びしゃもんどうもんせき|天台宗護法山

毘沙門堂門跡の御由緒・歴史
京都府 山科駅

ご本尊毘沙門天
創建時代大宝三年(703)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

護法山と号する天台宗の門跡寺院で、春の枝垂桜と秋の紅葉が美しい山科の名刹として知られている。
寺伝によれば、大宝三年(703)に上京区の相国寺の北に創建された出雲寺が起こりと伝えられ、延暦年間(782〜805)に最澄(伝教大師)が自ら作った毘沙門天を安置したことから、毘沙門堂と呼ばれるようになったという。
平安末期以降、度重なる戦乱で荒廃したが、天台宗の僧・天海とその遺志を継ぐ弟子の公海により、江戸時代の寛文五年(1665)に現在地に再建された。その後、後西天皇の皇子・公弁法親王が入寺し、以降、皇族や摂関家の子弟が門主を務める「門跡寺院」となった。
正面の本堂に本尊の毘沙門天が祀られている。左奥に宸殿は後西天皇の旧殿を賜ったもので、狩野益信の筆による、見る角度によって目や顔の向きが変わる「天井の龍」や、逆遠近法で描かれた「九老之図」などの襖絵が有名である。その奥には晩翠園と名付けられた池泉回遊式庭園がある。

歴史
歴史[編集] 統合前の歴史(1195年以前)[編集] 寺伝によれば、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)に行基が開いたという[1]。 平親範置文(『洞院部類記』)という史料によると、建久6年(1195年)、平親範は平等寺、尊重寺、護法寺という平家ゆかりの3つの寺院を統合し、出雲路に五間堂3棟を建てたという(「五間堂」とは間口の柱間が5つある仏堂の意)。こうしてできた寺は出雲寺の寺籍を継ぎ、建久6年(1195年)に塔ノ垣にあった旧出雲寺の地に護法山出雲寺として再興され、最澄(伝教大師)自刻の毘沙門天像を本尊とした。なお、比叡山延暦寺の根本中堂に倣い、西に平等...Wikipediaで続きを読む
引用元情報毘沙門堂」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A0%82&oldid=103515804

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ