だいごじ|真言宗醍醐派總本山|醍醐山・深雪山
醍醐寺の編集履歴
宗派
真言宗醍醐派總本山
編集前:真言宗醍醐派
ご由緒
醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。
醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。
その後、応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残された。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし、今日の姿となった。
編集前:醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。
醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。
その後、応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残された。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし、今日の姿となった。
見所
<h3>お花見発祥の地</h3>
醍醐寺は”花の醍醐”と言われるほど桜が有名で境内に約1000本の桜があります。
古来より、花見とは貴族の伝統行事としての意味合いが強いものでしたが、秀吉がその概念を崩し、花を見ながらお酒を楽しむ会として始めたことが今の花見に通じているとされています。
春の彼岸に憲深林苑で咲き始めるかわづ桜から始まり、三宝院の大紅しだれと金堂わきの大山桜が咲き終わるまで約3週間、様々な桜を楽しむことができます。
編集前:<h3>お花見発祥の地</h3>
醍醐寺は”花の醍醐”と言われるほど桜が有名で境内に約1000本の桜があります。
古来より、花見とは貴族の伝統行事としての意味合いが強いものでしたが、秀吉がその概念を崩し、花を見ながらお酒を楽しむ会として始めたことが今の花見に通じているとされています。
春の彼岸に憲深林苑で咲き始めるかわづ桜から始まり、三宝院の大紅しだれと金堂わきの大山桜が咲き終わるまで約3週間、様々な桜を楽しむことができます。
アクセス
地下鉄東西線「醍醐」下車、徒歩20分
京阪バス「醍醐三宝院」下車、すぐ
編集前:地下鉄東西線「醍醐」下車、徒歩20分
京阪バス「醍醐三宝院」下車、すぐ
山号
醍醐山・深雪山
創立
874年(貞観16年)
創始者/開山・開基
聖宝(理源大師)
本殿/本堂の建築様式
入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面5間。平安時代後期の建立。
巡礼
真言宗十八本山第12番
西国薬師四十九霊場第39番
役行者霊蹟札所
神仏霊場巡拝の道第126番(京都第46番)
編集前:西国四十九薬師霊場第39番