ほんきょうじ|日蓮本宗|久遠山
本経寺のお参りの記録一覧
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明智光秀終焉の地
日蓮本宗 本山要法寺の末寺で1,506年に創建。
江戸時代には「小栗栖檀林」という僧侶の学校があり,その跡地に現本堂、墓地等が整備された。本能寺の変後、その最後には諸説あるが、近江の坂本城へ敗走中、落武者狩りに遭って落命したとされる竹藪が本経寺裏に残る。この小栗栖の地が明智光秀の終焉の地であることにより供養塔を本堂左手に建てた。
京都市観光NABIより
本経寺まではけっこうな坂道でした。
明智光秀終焉の地「本経寺」
バス通りである新小栗栖街道から住宅街に入った最奥にある。
小さいながらも看板は複数あり住宅街だが道も広めで行きやすい。
駐車場あり。
山門はなく、石標で「本経寺」と書かれ階段を登ると朱色の本堂。
本堂真横に「明智日向守光秀供養塔」
本堂の裏はお墓がたくさん。お寺の規模は小さいがお墓はたくさんある。
小栗栖は明智光秀が亡くなった地。
光秀は山崎の合戦で敗北し坂本城へ逃れる時に小栗栖で最期を迎えたと伝わる。落ち武者狩りに襲われたとも、致命傷追って自害したとも、小栗栖館の武士集団・飯田一党が襲ったともなんか色々説がある。
とりあえず小栗栖で亡くなったので供養塔があるのかと。
お寺から100mほど進んだところに(看板あり)光秀が襲われたとされる「明智藪」がある。今やほとんど竹藪ない。
『麒麟がくる』はどういう最後になるのかな〜と期待しながら先に参拝です。京都は吐くほど暑い。
小栗栖は某ゲームの聖地。
本堂
供養塔
本堂からの景色
100mぐらい先にある明智藪の石碑
さらに30mぐらい行った明智藪の地
明智藪の裏。はげやま
京都府のおすすめ2選🎌
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