御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

ほうかいじ(ひのやくし)|真言宗醍醐派

法界寺(日野薬師)の御由緒・歴史
京都府 石田(京都市営)駅

ご本尊薬師如来
ご由緒

真言宗醍醐派の古刹で、通称日野薬師ともいう。藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺で、1051年(永承6)日野資業が薬師如来像を造って、日野家伝来の小像の薬師如来を胎内に収め、薬師堂を建立して寺とした。日野一族といえば、浄土真宗の開祖親鸞の誕生地であり、日本史を彩った女達の一人日野富子等がいる。
本尊の薬師如来像(重文)は、胎内仏というところから、安産、授乳、子授等のご利益があり、特に女性の信仰を集めている。
阿弥陀堂(国宝)は、藤原時代に起こった浄土教の流行や、末法思想等の影響で各地に建てられた阿弥陀堂建築の一つで、堂内には定朝様の丈六の阿弥陀如来像(国宝)が、安置され、周りには、これも絵画史上貴重な天人の壁画(重文)が描かれ、さながら現世の極楽浄土の世界を表している。
また,親鸞聖人は、今からおよそ800有余年前に、日野の里でお生まれになった。父は日野氏の一族・皇太后宮大進日野有範卿、母は清和源氏の八幡太郎義家の孫娘の吉光女であったといわれている。
この地は藤原北家の一流、日野氏の所領でした。初代の藤原真夏は「ここは仏法有縁の地である」とのお告げを老翁より受けて、7代目藤原資業が別荘を営み、法界寺を建てた。兵火により多くは失われているが、今も阿弥陀堂に丈六の阿弥陀如来像が残る。
このように浄土教信仰が篤い中お生まれになった親鸞聖人は、阿弥陀堂にお参りし、仏に語って成長されました。法界寺の裏手には今も日野家の廟所があり、そこには、有範卿や吉光女の墓が大樹に守られるようにして残っている。

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ