かいほうじ|黄檗宗|福聚山
海宝寺のお参りの記録一覧
黄檗宗の寺院で、御本尊は聖観世音菩薩。
地名にもなっている「桃山町正宗」は、仙台藩の藩祖伊達政宗の伏見城上屋敷があった場所に由来します。
また、若冲が晩年の作品となった「郡鶏図障壁画」を画いた書院である「若冲筆投げの間」と呼ばれています。
寺院では、中国の普茶料理を頂くことができる様です。(訪れた時は、コロナ禍で中止でした。)
本堂です。
本堂の左手のは、伊達政宗が手植えしたと云われる樹齢400年の木斛(もっこく)があります。
手前の松に隠れてしまった・・・。
京都へ来たら絶対に行きたかった場所、福聚山海宝寺。
それはこちらが伏見の伊達上屋敷跡であるため。
400年前に政宗様や愛姫様、五郎八姫様がこちらにお住まいになられていたと思うと、緊張しすぎて写真がままなりませんでした゚(´;ω;`)
まさか本当に来れる日が来るなんて…!笑
山門。閑静な住宅街にあります。
中国の精進料理である普茶料理で有名な黄檗宗のお寺です。
黄檗宗は、仙台藩4代目、伊達綱村公が帰依していた宗派であります。胸熱です。
境内。
こちらが政宗様がお手植えされたと伝わる木斛。お屋敷はなくても木斛は残っている…。。
仙台が出来る前、政宗様が秀吉公に仕えていたころの10年ほど京都で過ごされていたそうです。
正室・愛姫様やご長女・五郎八姫様も殆どを京都で過ごされていました。
近くで。
歴史を感じさせる太さ。
次世代が植えられていました。もしかしたらそろそろ寿命が近かったりするのかな。。
木斛が生きているうちに会えてよかったです。
お寺の方が中を案内してくれました。こちらは太閤様がお持ちだったものですが、政宗様が気に入ったようで、いただいたそうです。
政宗様が植えた木斛がここまで飛んできて、生えていた木に種が付いたかでほかの木の途中から木斛が生えているようです。
木斛以外にも政宗様が残されたものがあることは知りませんでしたので、案内していただけて嬉しかったです。他にも伊藤若冲の障壁画があるそうですが、今は市で保管していただいているそうで、写真だけがありました。
こちらの地域はかつての伏見城下で大名屋敷がならんでいたそう。
その屋敷跡がそのまま地名になっています。
海宝寺は正宗町。諱が町名になるのは政宗様だけのよう?下屋敷跡が伊達町になっているからかな?
そしてお隣の町は最上!!
町名を結合させて最上正宗町にしちゃうなんて胸熱です。
義姫様が見られたら喜ばれそう…!
ほかにもたくさんの大名の名前が地名となって今に歴史を遺しています。
歩いているだけでも歴史好きには楽しいです(でも本当にただの住宅街です)。
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