しょうこくじ(しょうこくしょうてんぜんじ)
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相国寺(相国承天禅寺)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月16日(土)
参拝:2024年11月吉日
萬年山相国寺は、室町幕府三代足利義満が、後小松天皇の勅を奉じて、夢窓国師(夢窓疎石)を勧請開山として、室町幕府の東隣に明徳3年(1392)に創建され、正式には「萬年山相国承天禅寺」と称する。
創建より足利将軍家とは密接な関係にあり、禅宗行政の中心地としての機能を果たした。同じく、多数の学僧を輩出し、五山文学の中心地となり、政治・文化両面で隆盛を極めた。
その後、「応仁の乱」や「天明の大火」といった戦乱や火災により、幾度も諸堂を失いながら、再建を繰り返し今日に至る。
現在は鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、眞如寺の三ヶ寺を山外塔頭、ならびに十ヵ寺を山内塔頭として相国寺一山を構成する。また、全国に九十余ヵ寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山である。
山内には承天閣美術館があり、国宝・重要文化財を含む多数の什宝を展示公開している。
~当寺パンフレットより引用~
秋の特別拝観に行きました。蟠龍図は見事の一言です!(撮影禁止ですので、パンフレットなどを添付しました)
御朱印は、方丈入口で御朱印帳を預けて、番号札と引き換え方式です。ちょっとした売店になっています。
創建より足利将軍家とは密接な関係にあり、禅宗行政の中心地としての機能を果たした。同じく、多数の学僧を輩出し、五山文学の中心地となり、政治・文化両面で隆盛を極めた。
その後、「応仁の乱」や「天明の大火」といった戦乱や火災により、幾度も諸堂を失いながら、再建を繰り返し今日に至る。
現在は鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、眞如寺の三ヶ寺を山外塔頭、ならびに十ヵ寺を山内塔頭として相国寺一山を構成する。また、全国に九十余ヵ寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山である。
山内には承天閣美術館があり、国宝・重要文化財を含む多数の什宝を展示公開している。
~当寺パンフレットより引用~
秋の特別拝観に行きました。蟠龍図は見事の一言です!(撮影禁止ですので、パンフレットなどを添付しました)
御朱印は、方丈入口で御朱印帳を預けて、番号札と引き換え方式です。ちょっとした売店になっています。
「北門」
「浴室」
宣明(せんみょう)と呼ばれ、1400年頃創建されたとみられる
宣明(せんみょう)と呼ばれ、1400年頃創建されたとみられる
「法堂」①
法堂(はっとう)は、慶長10年(1605)豊臣秀頼の寄進により、5回目の再建になり、我が国法堂建築の最古のもの
法堂(はっとう)は、慶長10年(1605)豊臣秀頼の寄進により、5回目の再建になり、我が国法堂建築の最古のもの
「法堂」②
「天響楼」
中国開封大相国寺により二つ鋳造され、その一つが日中佛法興隆・両寺友好の記念として寄進された
中国開封大相国寺により二つ鋳造され、その一つが日中佛法興隆・両寺友好の記念として寄進された
「経蔵」
「鐘楼」(洪響楼)
袴腰付鐘楼ともいわれる
袴腰付鐘楼ともいわれる
「東門」
「裏方丈庭園」
手前を谷川に見立て掘り下げ、対岸には築山を設け、市中にいながら深山幽谷の雰囲気を感じさせる。
手前を谷川に見立て掘り下げ、対岸には築山を設け、市中にいながら深山幽谷の雰囲気を感じさせる。
「表方丈庭園」
白砂敷きの枯山水庭園で、禅の境地「無」を表現していると言われている。
白砂敷きの枯山水庭園で、禅の境地「無」を表現していると言われている。
「開山堂庭園」①
お堂の南側に広がる庭園は『龍渕水の庭』と呼ばれ、手前の白砂の広がる石庭と奥のモミジの足元に広がる緩やかな苔の築〜その中を通る流れという二段構えの庭園。
お堂の南側に広がる庭園は『龍渕水の庭』と呼ばれ、手前の白砂の広がる石庭と奥のモミジの足元に広がる緩やかな苔の築〜その中を通る流れという二段構えの庭園。
「開山堂庭園」②
少し色づき始めた感じでした🍁
少し色づき始めた感じでした🍁
「総門」
平成19年(2007)京都府指定有形文化財となった
平成19年(2007)京都府指定有形文化財となった
御朱印①(直書き)
御朱印②(書置き)
御朱印③(書置き)
おまけ①
おまけ②
パンフレット
パンフレット
おまけ③
拝観券
拝観券
すてき
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