浄土真宗本願寺派
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楽しみ方勝福寺のお参りの記録一覧

京都市上京区にあります、
勝福寺に参拝しました。
浄土真宗本願寺派の寺院で、御本尊は【阿弥陀如来】通称【親鸞聖人旧蹟】。
寺伝によりますと、【清水庵】【一條坊】と呼ばれ、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が一時期住居とした旧蹟である。親鸞聖人は布教のため関東にて約二十年を過ごしたが、故郷の京都に戻ってきたのは、六十歳を過ぎた頃といわれる。帰洛後は主に「教行信証」(親鸞の集大成的著作)の補筆完成に精進すると共に、都での教化活動にも力を注いだ。帰洛後の住まいについては、洛中を転々としたが、嘉禎二年(1236年)に一条附近にあった清水庵に居住したという。
寺に残る「御生骨縁起」によると、この寺で教化している時、親鸞聖人の歯が抜け落ち、
「秋はつる 落葉は冬ぞ いざさらば
無量寿国の春ぞ なつかし」 と一首詠んだ。
四季の移ろいの中に自らの老いを重ねるというその歌に感動した、弟子の真仏房平太郎は、聖人に対し、形見に歯を所望したところ、聖人はその願いを聴きいれ、自ら彫った木像を共に与えた。それが寺に伝わる「落葉の尊形(親鸞像)」であり、その由来である。永正十六年(1519年)に本願寺第九世の実如上人は当時の一條坊善正に対し、「当寺が親鸞聖人の重要な旧蹟であること、また落葉の尊形を子々孫々大事に保管せよ」と書状を与えている。
京都市上京区付近の寺社仏閣巡りの際に立ち寄り参拝させて頂きました。
山門は開いていましたが、非公開寺院なので外から
手を合わせさせて頂きました。



二条城北側散策の続きです。
こちらの勝福寺さん 山門が開いていましたので 境内に3歩だけ入らせていただきました。
境内はほぼお庭で もしかしたら非公開寺院だったのかも知れません。
山門脇に「親鸞上人 御草庵清水庵 真仏房平太郎御化導 之地」の石標が立てられています。
寺伝によれば 当寺はもともと「清水庵」「一條坊」と呼ばれ 親鸞聖人が一時期住居とした旧跡です。
由緒ある寺院ですね。
浄土真宗本願寺派 ご本尊は阿弥陀如来立像です。
近くには石柱など歴史を伝えるものがたくさんありました。
少しだけ写真に撮っておきました。
平安宮大蔵省跡 が印象的で 大蔵省ってその時代からの言葉だったんですね。

外観

由緒書

山門は開いていました

石柱

境内の様子

聚楽第跡の石柱

聚楽第の説明 京都弁で書かれています

秀吉の功績について書かれていました

平安宮大蔵省跡 の石柱

源氏物語 ゆかりの地 の看板

唐津小笠原藩邸跡

今残っている建物です
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