せいめいじんじゃ
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楽しみ方晴明神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年01月02日(日) 21時43分47秒
参拝:2020年12月吉日
晴明神社(せいめい~)は、京都府京都市上京区晴明町にある神社。旧社格は村社。祭神は安倍晴明御霊神。平城京内の一条戻橋のたもとにあった安倍晴明屋敷跡に鎮座している。
創建は平安時代後期の1007年、陰陽師・安倍野晴明の死後、一条天皇が晴明の遺業をたたえ、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。当時は広大な境内を有したが、度重なる戦火や豊臣秀吉の都市整備などにより次第に縮小、社殿も荒廃した。幕末以降、氏子らにより社殿造営と境内整備がなされ、明治時代には村社に列した。昭和後期以降、安倍晴明を主役にした夢枕獏の小説『陰陽師』シリーズのヒット、映画化、漫画化により、晴明ブームになり、一躍人気神社に仲間入りした。
当社は、京都市営地下鉄烏丸線・今出川駅の西方1km弱の大通り(堀川通り)沿いにある。境内はこぢんまりしていて、中央部を細い公道が通っていて二分されている。東向きに建っている社殿のある方の境内は、社殿、社務所、授与所があるぐらいのシンプルなもの。大通りに面した社殿のない方の境内はほぼ参道プラスアルファといった感じ。
今回は、観光情報サイト<じゃらん>においてランキング上位で紹介されている神社ということで参拝することに。参拝時は週末の夕方だったが、やはり人気のある神社のようで、自分以外にも多くの人が参拝に訪れていて、多くの人が授与品を拝受していた。
創建は平安時代後期の1007年、陰陽師・安倍野晴明の死後、一条天皇が晴明の遺業をたたえ、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。当時は広大な境内を有したが、度重なる戦火や豊臣秀吉の都市整備などにより次第に縮小、社殿も荒廃した。幕末以降、氏子らにより社殿造営と境内整備がなされ、明治時代には村社に列した。昭和後期以降、安倍晴明を主役にした夢枕獏の小説『陰陽師』シリーズのヒット、映画化、漫画化により、晴明ブームになり、一躍人気神社に仲間入りした。
当社は、京都市営地下鉄烏丸線・今出川駅の西方1km弱の大通り(堀川通り)沿いにある。境内はこぢんまりしていて、中央部を細い公道が通っていて二分されている。東向きに建っている社殿のある方の境内は、社殿、社務所、授与所があるぐらいのシンプルなもの。大通りに面した社殿のない方の境内はほぼ参道プラスアルファといった感じ。
今回は、観光情報サイト<じゃらん>においてランキング上位で紹介されている神社ということで参拝することに。参拝時は週末の夕方だったが、やはり人気のある神社のようで、自分以外にも多くの人が参拝に訪れていて、多くの人が授与品を拝受していた。

堀川通りの西側にある<一の鳥居>と<社号標>。

一の鳥居には<五芒星>の扁額が掛かる。

鳥居をくぐって参道を少し進むと、巨大な<狛犬>が現れる。デカい。

参道右側には<一条戻橋>と書かれた橋がある。

細い公道を渡ると<二の鳥居>とふたたび<社号標>。

鳥居をくぐって右手にある<手水舎>。

手水舎前から<境内>全景。
突き当りが<拝殿>、右奥の<御神木>が良い感じ。左手は<授与所>。
突き当りが<拝殿>、右奥の<御神木>が良い感じ。左手は<授与所>。

<拝殿>遠景。右側に境内社もある。

<拝殿>全景。参拝者が絶えない。

拝殿左側にある<安倍晴明像>。

拝殿の右側にある<厄除桃>。自身の厄を撫でつける。

厄除桃の右側にある<天満社・齋稲荷社・地主社>の拝殿。

授与所の内部。高い確率で参拝者が授与品を買い求めている。(^▽^)/
すてき
投稿者のプロフィール

惣一郎1269投稿
2020年1月から寺社仏閣巡りを始めた初心者です。東京在住です。 クルマとバイク、旅行が趣味なので、近くから遠くまで、精力的にお参りしています~♪ ■2023年も引き続き、日本各地(目標:寺社...もっと読む
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