ほうかんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
法観寺ではいただけません
広告
法観寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年08月28日(月)
参拝:2004年10月吉日
いつでも拝観できるか否かは分かりません。
この時は特別拝観で入れたのですが・・・。
「あら開いてる」
と気軽に入ったのですが、まさかこの塔の中に入れられるとは思ってもみませんでした(苦笑)
「え?登るの?」
いや、登らなくともいいのですが登れるのなら登りたいので登りました(笑)
めったに見れない風景を拝ませて頂きました。
ここには木曽義仲の首塚があります。
「八坂の塔で知られる法観寺の境内に、「八坂墓」・「木曽義仲の首塚」がまつられています。「八坂墓」は、『延喜式』諸陵寮にしるされた光孝天皇外祖母藤原数子の墓と伝えられていますが、別名「朝日塚」という呼び名から、朝日将軍と呼ばれた「木曾義仲の首塚」といわれてきました。近江粟津で討たれた義仲の首は、六条河原でさらされた後、法観寺の境内に葬られたと伝承されています。明治時代の後半に、近くの護国神社へ向かう参道沿いの旅館の前庭に首塚の石碑が建てられ、町内の有志の方々によって供養されてきましたが、平成9年(1997)旅館の廃業にともない法観寺に引き取られ、塔の横に移されました」とありました。
この時は特別拝観で入れたのですが・・・。
「あら開いてる」
と気軽に入ったのですが、まさかこの塔の中に入れられるとは思ってもみませんでした(苦笑)
「え?登るの?」
いや、登らなくともいいのですが登れるのなら登りたいので登りました(笑)
めったに見れない風景を拝ませて頂きました。
ここには木曽義仲の首塚があります。
「八坂の塔で知られる法観寺の境内に、「八坂墓」・「木曽義仲の首塚」がまつられています。「八坂墓」は、『延喜式』諸陵寮にしるされた光孝天皇外祖母藤原数子の墓と伝えられていますが、別名「朝日塚」という呼び名から、朝日将軍と呼ばれた「木曾義仲の首塚」といわれてきました。近江粟津で討たれた義仲の首は、六条河原でさらされた後、法観寺の境内に葬られたと伝承されています。明治時代の後半に、近くの護国神社へ向かう参道沿いの旅館の前庭に首塚の石碑が建てられ、町内の有志の方々によって供養されてきましたが、平成9年(1997)旅館の廃業にともない法観寺に引き取られ、塔の横に移されました」とありました。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。