けんにんじ|臨済宗建仁寺派大本山|東山
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楽しみ方建仁寺(建仁禅寺)のお参りの記録一覧

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺 風神雷神図 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺 京都祇園 臨済宗大本山

建仁寺境内散策。調べたら開山堂も10年ほど前に特別公開があったみたい。次はいつになるのやらですね😊芙蓉やヤブランなど境内には少しづつ秋の気配が🤗

開山堂前

扶桑佛心宗第一開山千光祖師榮西禅師入定塔石碑

茶碑

山門

うっすら護国院と読めます。この護国院が明治になって開山堂になったとのこと。

本堂

芙蓉がそろそろ咲きそろってきました


桑の碑

同。読めない・・・

ヤブランも咲いてきてます

明星殿

扁額

由緒。楽神廟。

同御堂

建仁寺は建仁二年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。
創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。
その後、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。
正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えます。
その後、天文の大火により諸塔頭及び法堂が焼失したが、ようやく慶長4年(1599年)安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈を移築し復興が始まり、徳川幕府移行後も保護を受け堂塔が再建修築され、制度や学問が整備されます。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。
また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。
〜公式サイトより抜粋〜
やはり、禅寺はピリッとした雰囲気があって良いですね。風神雷神図屏風は、少し残念でしたが、その分、庭園をゆっくり観賞させていただき、心穏やかな時間を過ごすことができ感謝です🙏

法堂①

法堂②

法堂③

宗務本院
拝観入口になります

風神雷神図屏風①

風神雷神図屏風②

大雄苑

潮音庭

三門①

三門②

御朱印(書置き)

昨秋に参拝しましたm(_ _)m
遅くなったものの拝観時間に間に合いそうだったので建仁寺さんへ。コロナ禍前にも参拝したことがありますが、当時はまだ御朱印をいただいてなかったので再訪しました。
本坊にて受付をして、方丈や庭園、法堂、複製された『風神雷神図屏風』などを拝観しました。
HPなどに記載されているマナーを守れば、境内(建物内)の撮影も可能です📷️
建仁寺さんは、臨済宗建仁寺派の大本山です。
開創は1202(建仁2)年、開山は栄西禅師、開基は源頼家、山号は東山(とうざん)、御本尊は十一面観音菩薩(坐像)さんです(方丈にいらっしゃいます)。
創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学でしたが、第十一世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となりました。
やはり『風神雷神図屏風』や『双龍図』は見応えありますし、庭園は素敵でした✨✨
参拝客が多いのも納得です(笑)
この日は、書置きの御朱印をいただきました。
(他の参拝客が写ってるので、投稿する写真は限定的ですm(_ _)m)

この日は書置きをいただきました

北門にて

風神雷神図屏風(高精細デジタル複製)



法堂(はっとう)。釈迦如来(坐像)さんがいらっしゃいます。両脇にいらっしゃるのは阿難・迦葉像。天井画は小泉淳作筆『双龍図』。

大雄苑(だいおうえん)①

大雄苑(だいおうえん)②


潮音庭(ちょうおんてい)
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